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ほめ日記61 ~友人夫婦が羨ましいと思った日~

昨日は、仲良くしている友人の家に子供たちを連れてお邪魔した。

一緒にクリスマスを祝ってご飯やケーキを食べて、ゲームをしたり。

友人の娘ちゃんは私の娘と同じ年。 

友人の旦那様は、おっとりしている分、仕事でバリバリ成功する方ではないが、娘ちゃんとよく遊ぶ。外に連れ出したり、各種ボードゲームやカードゲームをしたり。

育児だけでなく、家事でも、友人を助ける。料理もするし、片付けもする。各種新しいレシピにも挑戦するし、私たちのような来客がある場合、積極的に対応する。

友人が何かに失敗すると(飲み物をこぼしたり、作った料理がイマイチだったり)、笑って許し、「何でもないさ」とか、「いや、君の料理は美味しいよ」と言ったりしている。

私は人前で、夫や子供たちを褒めるのが苦手だ。だから、褒めるより謙遜し、卑下した。

これが我々夫婦が上手くいかなかった一因でもあるだろう。

夫はもっと褒めてもらいたかったのだろう。

ノロい夫に業を煮やし、何でも私がやった。これも夫を更に出来なく、ダメにしていったんだろう。

友人の夫は、週末は友人を寝かし続け、自分が子供の面倒を見て、全員分の朝食を作る。

うちの夫?

子供たちに与える朝食は甘いコーンフレークだけ。子供たちにはタブレットや携帯を渡す、又は、テレビの前に座らせる。

うちに来客が来た場合、夫は確かに掃除機をかけ、飲み物は調達してくれる。

但し、実際に料理を手伝ってくれたり、後片付けを並行してやってくれたり、私が料理の準備ができるように子供たちを遊ばせてくれたり、そんなことはしない、できない。

最悪ケースでは、自室にこもり、存在を消し、来客に挨拶すらしない。ひたすら、来客の帰宅を待つ。。

子供たちが生まれる前は違っていた。

精神的に不安定で、誰かに頼り、依存し、励ましを求める私を支えてくれた。

ただ、我々夫婦には、これしか共通点がなかったのだ。患者とカウンセラー、みたいな関係。

夫は私に「気分を変えるために散歩に行こう」、「食生活を変えよう」など、私の精神的不安定さを根本から改善させる提案はしてこなかった。

不安定になった私を慰め、励ます、それだけ。
先を見据えた改善策を探すのではなく、処置対応のような、その場の処理のみしてくれた。

私は夫ともっと、将来を見たかった。
二人で将来を考え、語り、動きたかった。

子供が生まれてから、そのあたりが更に顕著になったんだと思う。

「子供たちに経験させること」「子供たちと一緒に思い出を作ること」が私の優先。

確かに、そこには、子供たちの送迎だったり、各種準備だったり、人間関係のイザコザだったり、エネルギーの消耗だったり、大変なことはある。

このような場合、夫は、「そんなに面倒な事を引き受け、やろうとする君が悪い」と言う。「そんなに大変なら、やらなければ良い」と。

ここ、ここ、ここ。

夫は、大変なら、やらない。
夫は、とりあえず今を対応、処置する。
夫は、(比喩的に)、ひたすら薬を飲んで治す。

私は、大変でも、楽しいならやる。
私は、将来を見据えて行動する。
私は、(比喩的に)、薬以外にも、生活習慣や考え方の改善ができないか、考える。

友人夫婦は、このあたりが似ているのだと思う。同じ方向を向いているのだ。

だから、とっても素敵だと、羨ましいと思った。

今日はそんなお話。

今日がんばったこと

  1. 朝活(軽いヨガと瞑想)をした!

  2. 朝ごはんを美味しく食べられた!

  3. 義理父の家に子供たちの顔を見せに行った!

  4. 義理父と子供たちと公園に行った!

  5. 夜は夫不在の中、私が一人で子供たちをお風呂に入れ、ご飯を食べさせ、寝かしつけた!

今日もがんばった!

実は明朝から、子供たちを連れて、一泊で、車で2時間離れた友人宅に泊まりに行く。
行くべきか否か、最後まで迷ったが、出来た自分を褒めるために、行くと決意。

がんばれ~わたし!
できるぞ~わたし!

今日は以上。また明日。



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