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ジブリ『風立ちぬ』レビュー ただならぬ熱量で感じるアニメ制作の「愛」と「哀」

宮崎駿監督最新作『君たちはどう生きるか』公開直前の今、2013年のスタジオジブリ映画『風立ちぬ』を改めて観てほしい。

本作は、ジブリ史上初めて実在の人物を主役に据えたリアル路線のアニメだ。しかもヒロインは快活な冒険少女ではなく、病に冒された薄幸の女性。公開当時、『風立ちぬ』はそんな異例づくしの作品として話題になった。

筆者としては、この映画が「モノづくり」をメインにしたドラマだったことに感銘を受けた。作中の飛行機職人たちは実にカッコいいし、それを描くスタジオジブリ自体も凄腕の職人集団であるように思えてくる。

おそらく今後ジブリ作品を観る目が変わるきっかけになるであろう『風立ちぬ』。以下、見どころを紹介する。


二郎はイケメンすぎるヒコーキ野郎

舞台は大正時代の日本。映画冒頭、飛行機作りに憧れる少年・堀越二郎が登場する。ある日、彼は雑誌で飛行機設計技師・カプローニの存在を知り、当時イタリアで作られていた美しいデザインの飛行機に魅了される。

やがて大人になった二郎(声:庵野秀明)は、飛行機の製作を手がける三菱内燃機製造に入社。最新技術が必要とされる戦闘機の開発に携わり、零戦の生みの親となる。

そんな二郎は、『紅の豚』(1992年)に登場する元イタリア軍エースパイロット・ポルコを彷彿とさせるキャラだ。飛行機に「乗る」のか「作る」のかで両者は異なるが、戦争という場で自分の才能を生かすしかなかったという点では同じだ。

また、『紅の豚』のフィオが凄腕パイロットのポルコに惚れたように、『風立ちぬ』のヒロイン・菜穂子は飛行機職人の二郎に恋をする。

二郎と菜穂子は軽井沢のホテルで偶然出会う。実は菜穂子は結核を患っており、部屋から出るのもままならなかった。このとき二郎はカモメのような紙飛行機を作って菜穂子を元気づけていて、なんともイケメンなヒコーキ野郎として振る舞う。

映画後半では、結核という時代の運命に翻弄されるふたりの物語が描かれており、これは1938年に文学者の堀辰雄が発表した自伝的小説『風立ちぬ』がベースになっている。

二郎は菜穂子と交際するようになってから、さらに必死になって仕事に打ち込む。彼はもしかしたら、菜穂子に自分の飛行機を見てもらいたいという思いを胸に秘めていたのかもしれない。

果たして二郎の願いは叶うのか……? そんな飛行機作りをめぐる「大人の恋愛物語」をぜひ観てほしい!


二郎の妄想共有シーンが楽しい

『紅の豚』は戦争を描くストーリーだったが、陽気な空賊たちがわんさか出てくるから明るいトーンのアニメだった。一方シリアス路線の『風立ちぬ』も、別の方向性でワクワクするようなシーンが散りばめられている。

作中、飛行機の図面に向かう二郎の脳内がたびたび映像化され、彼の思い描く機体が大空へ飛び立つ。猛スピードで駆け抜けるなかで機体は強風を受け、それにシンクロして現実世界の二郎の図面もバサバサっと宙を舞う。

この現実と虚構、いや、妄想の区別が曖昧になる感じ……二郎の脳内はオタクそのものなのだ。オタク脳を完全映像化してしまうのだから、『風立ちぬ』は斬新すぎる。

しかも、二郎が妄想した映像は同僚たちと共有されていた。たとえば職場で開かれた勉強会のシーン。設計室に集まった皆が振り向くと、二郎が考案した美しい流線型の機体がゆっくり飛んでくる。

そして極限まで空気抵抗を減らした飛行機を作ると二郎が熱弁をふるえば、同僚たちが「質問ッ!」と次々と手を挙げる。まるで愛するアニメ作品を熱く語り合うオタク集団のごとく盛り上がるこのシーンが、あまりに尊い!

実は、非常によく似た映像表現が2020年放送のテレビアニメ『映像研には手を出すな!』(原作:大童澄瞳)にも出てくる。

第1話でアニメーターを志すふたりの少女がスケッチブックを持ち寄り、脳内で合作アニメを描く。トンボ型メカを作り上げて敵とチェイスするシーンがあって、まさしくこれはオタク同士が一緒に妄想したからこそ出てきたアイデアだ。

さらに両作品とも、飛行機の効果音が人の声で作られている。「ブルブルブル」とか「シュポシュポシュポ」とか、これがなんとも可愛い。人の手によって作られた乗り物であるという感じがよく伝わってくるし、まるで生き物のようだった。

『風立ちぬ』は、そうやって後の作品に多大な影響を与えた傑作アニメなのだ。


ジブリの密着ドキュメンタリーのような映画

ところで、二郎の職場はスタジオジブリそっくりに描かれている。

テレビ映像で見かけるスタジオジブリの大部屋には、机がずらっと並び、大勢のスタッフがペンを走らせている。それは二郎の職場も同じで、『風立ちぬ』の絵コンテ(徳間書店)には「アニメーションスタジオ並みの設計室」とのト書きがある。

さらに、宮﨑監督作のマンガ版『風立ちぬ 宮崎駿の妄想カムバック』(大日本絵画)を読むと、そんな喩えがたくさん出てくる。

入社したての二郎が部品の計算を地道にやるコマには「まあアニメーターの新人と同じだな」と書かれているし、二郎が飛行機全体の設計を任せられ、周囲からやたらプレッシャーをかけられるシーンでは「新人監督と同じだな」とある。

そして最終回、二郎は「九試単戦」「十二試単戦」「十四試単戦」などの戦闘機を急ピッチで設計しては、勝てる見込みのない戦場へ送り出している。

宮崎監督はこの状況を、ある日突然、長編アニメーションを1年で5本同時に作れって言われるようなものだと喩える。

そして監督は二郎の職場とスタジオジブリを重ね合わせ、「みんな猛烈に走りまわった。けんめいに努力した。高揚もした。希望も持った。失敗、錯誤、無駄、数知れず……結局、まともな映画は1本も作れなかったのだ」という苦しかった制作現場の状況を語る。

このように振り返ってみると、『風立ちぬ』はスタジオジブリの密着ドキュメンタリーのような映画だと思えてくる。

これまでの宮﨑監督の経験が二郎に投影されていて、二郎の姿を見れば見るほど、どうやってスタジオジブリが新作を生み出してきたのか、喜びと悲哀がただならぬ熱量で伝わってくるのだ。

だからこそ今、『風立ちぬ』を猛烈にオススメしたい! この映画を観れば、7月14日劇場公開の最新作『君たちはどう生きるか』への期待も高まること間違いなしである。

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