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痛快歴史エンタメ『逃げ上手の若君』レビュー 逃げるが勝ちの「反・ジャンプ」マンガを見逃すな!

 戦場に放り出されたごく平凡な子どもが、屈強な大人たちを楽しそうに翻弄する。そんな痛快なアクションバトルを描くマンガが『逃げ上手の若君』だ。

 本作は週刊少年ジャンプで連載中の歴史マンガ。鎌倉幕府の後継者として生きるはずだった少年・北条時行と、幕府を裏切って天下をもぎ取った武将・足利尊氏との対決が描かれる。

 これまで『魔人探偵脳噛ネウロ』や『暗殺教室』を手がけてきた松井優征の集大成といえるマンガだ。

 松井作品の持ち味といえば、血みどろのシリアスな戦いが繰り広げられるなか、ここぞとばかりにぶち込まれるギャグの連続だ。ほとばしるカオス感が読んでいて楽しい。そして、今作は約700年前の実在の人物を主人公に据え、ジャンプ史上最低(?)の戦闘力を持つキャラとして登場させるというのだから凄い。

 2024年7月6日から待望のアニメ放送が開始。おそらく1クール目で映像化されるであろう第1〜4巻までをレビューしよう。


【100点満点の第1話から幕を開ける第1巻】

 舞台は1333年の鎌倉。鎌倉幕府の若き守護神といわれた家臣・足利高氏(のちに尊氏に改名)が、主君たる北条家を裏切って幕府軍を壊滅させるところから物語ははじまる。

 高氏は人当たりがよく、かつては主人公・北条時行にも優しく笑顔を振りまいていた。しかし、当時8歳の時行から、親兄弟と幕府の跡継ぎという将来をあっさりと奪い去ってしまう。

 逃げる瞬間だけは超人的な身体能力を発揮できる時行は、神官・諏訪頼重の手引きで信濃国へ逃亡。逆転の機会をうかがうことになる。

 『逃げ上手の若君』が凄いのは、第1話の完成度が非常に高く、一本のドラマとしていきなり大満足できる読後感があるところだ。この短いワンエピソードのなかに、「敵(ラスボス)は誰か?」「共に戦う仲間は誰か?」「主人公は何をかけて勝利を目指すのか?」という3要素がぎゅっと詰め込まれているからだろう。

 また、本作はひたすら逃げて生き延びればOKという「反・ジャンプ」的な勝利条件を提示する。実際、時行は第1話では全く戦っていないし、第10話(第2巻)にしてやっと自分ひとりの力で敵を倒すシーンが描かれる。同じくひ弱な主人公が登場するマンガ『僕のヒーローアカデミア』(作:堀越耕平)ですら、緑谷出久が必殺技を披露したのは第3話だった。その点、『逃げ上手の若君』は「邪道」を突き進むジャンプ作品なのだ。

 だけれども、ジャンプ作品として間違いなく盛り上がる要素がしっかりと盛り込まれていることに注目したい。それは、主人公と敵(ラスボス)が真逆の運命を背負っているという対立構図だ。

 時行を匿うことになった諏訪頼重は、第1話でこう言う。

「天下を奪った高氏にとっては…さぞ厄介な事でしょうな 次に誰より殺さねばならない鎌倉幕府の後継者が…誰より生き延びる才能を持つのですから 高氏は殺すことで英雄となり 貴方様は生きることで英雄となる

 このセリフは、時行と高氏が白黒の陰陽マーク(「太陰太極図」)をバックにして描かれたシーンに出てくる。印象的でカッコいい。連載がはじまった2021年当時、筆者は「今までに読んだことのないジャンプ作品がはじまるんだ!」という予感がして心が躍った。

 そんな『逃げ上手の若君』の第1話は、まさしく100点満点の第1話だったのだと思う。

【歴史エンターテイメントの醍醐味を感じる第2巻】

 戦闘力が「ウサギ並み」といわれる貧弱な時行は、敵に普通に攻撃したとしても全くつうじない。だったら、「逃げながらの攻撃」を編み出せばいいじゃないか……!

 そんな逆転の発想というか、いかにも少年マンガらしい荒唐無稽なバトルが描かれるのが第2巻だ。

 身分を隠して諏訪大社に居候する時行に対し、少年の正体を暴こうと試みる信濃守護・小笠原貞宗。このふたりの攻防がメインの内容となっている。

 時行の新技「後ろ射ち(パルティアンショット)」や、新たに仲間に加わった風間玄蕃の変身能力など、ぶっ飛んだフィクションがあちこちで描かれる。でも、このようなシーンのあとには、古代パルティア軍 vs ローマ軍の戦いや、室町時代における忍者の登場といったような史実解説が必ず入る。

 おそらく、作中世界を下支えする事実があるのと無いのとでは、読んだときの説得力が随分変わってくるのだろう。フィクションなのに、現実世界と地続きであることを感じさせる。これこそが歴史エンターテイメント『逃げ上手の若君』の凄いところだ。

【瘴奸 vs 時行の戦いに胸熱な第3巻】

 南北朝時代という乱世の中、時行がいかに気高い存在だったのかが伝わってくる内容だった。第3巻では、小笠原貞宗の部下であり、『逃げ上手の若君』序盤の最大の敵である瘴奸(しょうかん)と時行の対決が描かれる。

 このふたりは戦闘スタイルだけでなく、生き様からしても対照的な存在だった。かつて裏切りにあい、他人から奪われた分だけ奪い返してやろうと生きてきた瘴奸。一方、瘴奸と同じような境遇にあいながら、他人の傷の痛みを深く理解し、自分よりも弱き者(村の孤児)を助けようと奔走する時行。それどころか、時行は瘴奸を倒すだけでなく、敵である瘴奸の魂を救済して改心させてしまう。……どれだけ器のデカい奴なんだ、時行は!? 

 時行は、裏切りが当たり前の世の中だったとしても、闇に堕ちることなく心清らかであり続ける。そんな彼の生き方を見ていて、背筋の伸びる思いがした。

 かと思えば、突如デスメタルバンドにしか見えないルックスの武士が出てくるわ、時行のSMプレイ好き疑惑が浮上するわ……。ジーンとくる話の直後にもしっかりギャグをかましてくるあたり、とことんボケ倒してやろうという作者・松井優征の意気込みを感じる。

【百田尚樹『永遠の0』を彷彿とさせる第4巻】

 この巻の時行のミッションは、戦場で伝令役となり、劣勢の友軍を戦線から離脱させること。ところが、この「保科党」と呼ばれる武士たち、血の気の多い奴らでなかなか撤退しない。

 保科が声高に叫ぶ「戦場で潔く死ね」という美学——。こんなものは欺瞞だと、時行が論破する場面が痛快だ。彼は「自害する暇があったら死ぬほど生きたい」と語るが、戦乱の世の価値観に染まった大人たちからは白い目で見られてしまう。

 だが、それでも時行は自分の信念を曲げようとしない。彼は、目の血走った保科に啖呵を切る。
「潔く死んでも何も残らない! せいぜい無力な子どもが残るだけだ!

 第1話から物語が進むに従って、時行の強さが徐々に浮かび上がってくる。このあたりの作者の筆力に舌を巻くし、百田尚樹作の小説『永遠の0』を彷彿とさせる物語だと感じた。真に強い者とは、零戦の天才パイロット・宮部久蔵のごとく、臆病なまでに慎重で、ありったけの知恵を絞って生き残る者なのだ。周囲の同調圧力に屈することなく、自らの生き様で他者の心を掴む時行の姿をぜひ見てほしい!

【松井優征流・魅力的なキャラの作り方】

 最後に、マンガ執筆のハウツー本『描きたい!!を信じる 少年ジャンプがどうしても伝えたいマンガの描き方』(週刊少年ジャンプ編集部/集英社)に載っている松井優征のコメントを紹介しよう。

 ジャンプ作者アンケート「魅力あるキャラにするために気をつけていることはありますか?」という質問に対してこう答えている。

「『そのキャラと関わったキャラの人生(特に内面)が良い方向に変わる』です」

 時行を筆頭に、『逃げ上手の若君』のキャラたちは、そんな創作の方法論を地で行くようにして描かれている。マンガから入るもよし、アニメから入るもよし。今、『逃げ上手の若君』をお見逃しなく!


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