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想えいつかの死

 人類は、長い間音楽を愛し続けてきた。私は生まれて19年。その19年を彩る様々な音楽が私の傍にはあった。音楽。
 ふと思いついたので、今回は私の生き方を支えた音楽を紹介しようと思う。

泣けど喚けど朝が来て/12uck

 中学生。青年期に入った私の心身は、その不安定さから内から蝕まれていくようになった。当時の私は何も好きなものが無かった。追いかけたいもの、見ていたいもの、そんな支えとなる「私はこれが好きだ」というアイデンティティが無かった。何のために息をして、何のために勉強をして、何のためにここに居るのか。何もかもが分からなかった。陰気臭いし、太ってるし、友達も少ない。少ない友達と同じクラスになることは3年間一度も叶わず、私の中身はどんどん荒んで行った。「死にたい」と酷く思っていた。学校が終わって、夜の風景を眺めて、この時間がずっと続けば誰とも会わなくていいのに、何もしなくていいのに、そんな事ばかり考えていた。
 そんな時に出会ったのがこの音楽であった。YouTube画面にポツリと現れた美しいサムネイルに、気付くと吸い込まれていた。「どうか、夜よ、明けないでくれ」そんな歌い出しを重音テトの掠れたような歌声が囁く。そうしてラスサビは「ただ、輝くものを妬んで、進めない訳を作って、悪いのは全部僕なんだろう、信じる者は救われるんだろう、辛くても笑え前を向け明日はきっと素晴らしいそんな言葉を崇める星で今日も僕は生きている」と低かった重音テトの歌声が高くなり、人が歌えば生々しさが出てしまいそうな言葉を機械的に歌い上げるのである。
 青年期の非行に走ってしまいそうな程不安定な心理状況。まさに私はその通りで、笑顔の人が妬ましく、自分なんて死んでしまえばいいと思いながら、自分が可愛くて仕方ないそんなジレンマの中でグズグズしていた。でもその当時はこの歌詞の自嘲には気付くことはなく、ただ寄り添ってくれる音楽だと思い寝ながら聴いたりしていた。この音楽は、きっと大人になって聴いても心に刺さるものがある。何かを解決はしてくれないかもしれないが、悩みを共感し、傾聴してくれる力がこの音楽にはあると思う。

Memento Mori
     /Ivy to Fradurant Game

 小さい頃から怖いものがあった。それが「死」であった。「死にたい」と思う青年期の中には「死にたくない」が見え隠れしていた。そのジレンマの中で思い悩んだ。庭先で見つけたカマキリを、小さく残酷な私は大きな石を拾ってきて、そのカマキリに目掛けてドスンッと落とした。相手は虫。鈍い音なんてしない。潰れたカマキリは体から液体をぶちまけられた絵の具のように流していた。その中から、細い動くナニカが現れた。カマキリの寄生虫、ハリガネムシだった。本来水中で生きるヤツは、地上で媒体から引きずり出されたせいで、数日間水を求めて歩き回り死んで行った。

 私も同じ生き物だ。


その意識が脳裏を過ぎる度、怖くて怖くて仕方がなかった。殺したくせに。いつかは死ぬ。どうせ死ぬ。怖い。生きるのが苦しみで溢れているように、その先にも何も無いのだと思い悩む度に心は蝕まれていった。

 少し大人になって、出会ったのがこの音楽であった。普通に聴いたら凄く難しい内容だ。人想うから孤独になる。夢思うから不甲斐なくなる。生まれたから死が訪れる。光があるから見えてしまうものがある。人間らしさと対照的に描かれる残酷さや、劣等感。人生そんなものが理不尽に付きまとっている。そんな暗いネガティブなワードを並べたあと、「生きるため生きていたってさ いつかは死んでしまうから あらゆる不安や畏怖の意味の無さに 笑ってみせるがいい」と続けるのだ。それは私の知らない「死」の見方であった。真っ暗な先の見えない闇ではなく、白い光に包まれる「死」だった。そして最後に「いつかは死んでしまうなら 大した事など無いから あらゆる不安や畏怖の意味の無さに笑ってみせるがいい 想えいつかの死」と、美しいギターの音色と共に音楽は終わりを迎える。どんなに悩んだって、怖がったって、いつかは死んでしまう。思い悩んだ事柄も全て無に帰す。そんな考え方、今までしたことがなかった。軽快で、でも美しい音楽と、人生を楽観視させてくれる歌詞は、私の死生観に衝撃を走らせたのだった。

 音は空気があるから存在している。

地球の外には音楽は存在していないことになる。

もしかしたら生命は我々だけかもしれない宇宙の中で、もしかしたら音楽を愛しているのは我々だけかもしれない。どんなに嫌なことも、素晴らしい思い出も、全て無に帰す事が決まっていようと、人々は音楽を紡ぐのだ。

 …最後の方、志賀直哉の「城の崎にて」みたいだったな。でも彼は確か蜂の死やらを見て死を思い悩んだだけだった記憶がある。高校一年生に読んだ記憶なので違うかもしれないが、私はもうその先にいると思う。「想えいつかの死」そのいつかを、どうか満足に迎えられたらいいのではないかと思った。音楽は寄り添い、時に助言を囁くことがある。その音楽に載せられた言葉と共に、私は1歩ずつ成長していく。輝くものを妬み、悪口ばかりを吐き潰した私は、自信がなく、顔を隠すために伸ばしていた前髪を掻き分け、貞子のように長い髪は切り、父に男の子みたいだと言われるくらい短くしてしまった。昔の自分が今の私を見たらどう思うのだろうか。

やはり、私は音楽が好きだ。



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