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『すずめの戸締まり』 新海誠

『すずめの戸締まり』
新海 誠 2022年

ちょうど地上波で放送してたから、劇場で見たあとの記録載せようかなって。

そもそも蝉時雨止まぬ2022年夏、たった1分の予告に出会ったことがきっかけだった。
余計なことは語られず、妙に感情を揺さぶる音楽。心に絡みついていた。何となく口ずさむ日々が続いた。それでも正直、見に行くつもりはなかった。

公開直後、あの日を描いていることを知る。
それ以外の予備知識は持たず、友人の誘いに乗り軽い足取りで映画館を訪れた。

紡がれた日常と、裁断する警戒音。
感情を置き去りにした寂寞の町と、感情のない激烈なうねり。
あの日が蘇る。肌がざわめく。感情に語りかける音。あ、口ずさむ曲ではなかった――タイトルが静かに躍り出た瞬間、思い知る。
絡みついて離れないのではない。鷲掴みにされて取り込まれていた。

一期一会の印象深さ。
新たな母との出会い。片田舎を訪れる青年との出会い。見知らぬ土地で手を差し伸べてくれる人との出会い。
一期は一会だけではない。一挙手一投足。
わずかたりとも歯車が噛み違えば、天地がまるごと洗礼を受ける。その一切を背負い込んだわずか二十に満たぬ少女の肩に、何を見るだろうか。

「いってきます」を告げて、再び帰ることはなく。「いってらっしゃい」と送って、二度と迎えることはなく。
「復興」とは何であるか。
私たちは、あの日を糧にしている?前に進めている?

手を伸ばしかけることがあるかもしれない。
心の奥にしまった名を呼びたくなるかもしれない。立ち止まっていい。下を向いていい。きっと何度でも振り返る。今はなき幸せのかたちに思いを馳せる。
それでも胸に刻みたい、明けない夜はないことを。彼方に見える面影は過ぎ去りし思い出ではなく、迎えるべき明日。
きっと貴方の手で、また、紡いでいける。

想いの昇華が秀逸である。消化ではなく、昇華なのだろう。

東日本大震災で亡くなられたすべての皆様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

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