’01生まれ。 読書記録のつもりがほぼ徒然草✍🏻 出会ったときの感情を忘れたくないと思って

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『宵山万華鏡』 森見登美彦

『宵山万華鏡』 森見登美彦 2012年 集英社 わたしの1番好きな森見作品。森見ワールド全開。 学生最後の夏、これを読んで宵山に行くと決めたの。 涼やかで、どこか懐かしい夏の表情が変わるのを見ている気分だった。 暮れゆく夏の刻一刻を描き、祭りに浮き足立つ街の酔いに浸し、ときに京の都に根を巡らす異世界へいざなう。森見登美彦という人は、あぁそんな夏もあったと思い出す欠片を人の心に落としていくことがとてもうまい。 いまこの瞬間から零れ落ちていく掌いっぱいの夏の情緒、さながら

    • 『スター』 朝井リョウ

      『スター』 朝井リョウ 2020年 朝日新聞出版 「プロとアマチュアの境界線なき今、作品の質や価値は何をもって測られるのか。」 彼がそのまま小説家人生に感じていることなんだろう、と読みながらずっと。 著者は、読者の意見が二転三転する構成を目指したと語る。私のなかで感想が湧きすぎて、まとまらないことに合点。 妥協点の探り合いじゃなくて、質の高いものを追い続けることを許されるのは特別な人間。 「神は細部に宿る」と信じて突き詰めても、それだけでは立っていられない世界。 わた

      • 『すずめの戸締まり』 新海誠

        『すずめの戸締まり』 新海 誠 2022年 ちょうど地上波で放送してたから、劇場で見たあとの記録載せようかなって。 そもそも蝉時雨止まぬ2022年夏、たった1分の予告に出会ったことがきっかけだった。 余計なことは語られず、妙に感情を揺さぶる音楽。心に絡みついていた。何となく口ずさむ日々が続いた。それでも正直、見に行くつもりはなかった。 公開直後、あの日を描いていることを知る。 それ以外の予備知識は持たず、友人の誘いに乗り軽い足取りで映画館を訪れた。 紡がれた日常

        • 『何者』 朝井リョウ

          『何者』 朝井リョウ 2012年 新潮社 ときどき、様々なことを思いつく前に読み進める手が止まらない小説に出会う。そのときの自分に刺さるからだと思う。 『何者』はまさにそんな作品だった。 黒スーツと黒髪、手にした鞄には履歴書にエントリーシート、SPIの参考書。 青い背景にすまし顔を捉えた無機質な証明写真は自分の何も表していないと思いながら、履歴書の登録ボタンを押す。そういう日々を送った人が多かっただろう時期。 就活はしない。社会の潮流に流されるのは嫌だから。それ以外にも

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        『宵山万華鏡』 森見登美彦

          『海がきこえる』 スタジオジブリ

          『海がきこえる The Ocean Waves』  スタジオジブリ 1993年 せわしない3月に舞い込んだ劇場上映のお知らせに心がほぐれた。 平熱感覚を縦糸に、東京と高知を行き来して若人の刹那を紡いだジブリ作品。 揺らぎ。狭間。ひと昔前のすぐそこに、10代後半という時間が融けだす。 「あ、いまジブリを浴びてる」と思う瞬間の詰め合わせだった。 風に顔背ける吉祥寺駅のホーム、スプライトを煽る真夏の屋上、隣のテニスコートを駆け回る女子に視線注ぐ体育。 大胆と繊細が交感する描

          『海がきこえる』 スタジオジブリ

          『時をかけるゆとり』 朝井リョウ

          『時をかけるゆとり』 朝井リョウ 2014年 文春文庫 学生という免罪符の失効にもどかしさと寂しさを覚える日々、おすすめしてもらってすぐ手に入れた一冊。 これはもはや活字で摂取するお笑い。 学生最後。好きなこと学んで遊べるのなんて今のうち。何でもやらなくちゃ。 常に心にあり、周囲にも同じ空気感が漂い、大人の口をついて飛び出す。 原動力となった一方で、ときに追い立て、多少の焦りをもたらす価値観でもあった。さながら牧羊犬。 さて本書、好奇心ではちきれそうな学生の心にプスっ

          『時をかけるゆとり』 朝井リョウ

          『有頂天家族』 森見登美彦

          『有頂天家族』 森見登美彦 2010年 幻冬舎文庫 森見登美彦ワールド、いつ浸っても言い回しの豊饒さに引きずり込まれる。母語を愉快にこねくり回すことにかけてこの人の右に出る者はいないと思う。 面白きことは良きことなり! あいも変わらず舞台は京都、しかし本作にて舞台を駆けまわるは狸に天狗に人間、かと思えば尻尾の隠しきれぬ狸である。 頑固な天狗はかつての栄光と道ならぬ恋に縋りながら引きこもり、まぬけな兄弟は偽電気ブランを量産し、綿埃と見分けのつかぬ長老は安穏にぽんぽこ腹鼓を

          『有頂天家族』 森見登美彦

          『やっぱり食べに行こう。』原田マハ

          『やっぱり食べに行こう。』 原田マハ 2021年 毎日文庫 イランカラプテ。JR北海道の車内アナウンス、アイヌ語の挨拶。 白銀の世界に目を細める旅がはじまった。お供はやはり旅行記しかない。表紙をよく目にしていた原田マハさんの旅先グルメエッセイとはじめまして。 まず食のエッセイとは、目次を眺めるのが楽しいと思う。タイトルだけで「あぁ〜」と共感できたり、逆にそれは何ぞ?と思ったりする。字面を見てにこっとしたのは「ねこたつみかん」。シンプルな冬の黄金比である。向かう氷点下の世界

          『やっぱり食べに行こう。』原田マハ

          『THE FIRST SLAM DUNK』 井上雄彦

          『THE FIRST SLAM DUNK』 2022年 井上雄彦 中学生で漫画に出会って何度読み返したか分からない。1年ぶりに復活上映行ったら見事に再燃、興奮のままに。バスケ詳しく分からないんだけれどね。 殴り合い、挑戦の海南、陵南との凌ぎ合い、己が下手さを知りて一歩目だった合宿、前置きは一切しない。井上氏のタッチがそのままスクリーンに彼らを描き出す。試合は歩き出す。 モノクロの筆致。リストバンドの赤。左耳のピアス。 交錯する過去といま。 宮城リョータ。 私たちが彼

          『THE FIRST SLAM DUNK』 井上雄彦

          『 遠い太鼓』 村上春樹

          『 遠い太鼓』 村上春樹 1993 講談社文庫 旅は旅とともにあって然るべき。 いまは全貌の見えないわたしの旅が秩序づく。もっとも方法論的な秩序はいらない。その旅が後々の自分にどんな意味をもたらすか、その点においてである。 一つだけはっきり言えることは、『遠い太鼓』を読みながら青春18きっぷで旅をすると、人生遠回りしてなんぼと心が軽くなるということだ。 しかもそのとき一緒に旅をした子は、某大学の100キロハイクに参加したい、短歌を詠んでいて、自分と周りの人の作品を集め

          『 遠い太鼓』 村上春樹

          『OSO18 "怪物ヒグマ"最期の謎』 NHK

          『OSO18”怪物ヒグマ”最期の謎』 NHK 2023年 やりきれない。 生きるために人の放置した獣の肉を食べ、味覚が書き換えられ、草や木の実を食べなくなり、やがてクマとしての生き方を忘れる。 「クマとして」。それが何であるか、人間が定義づけてよいものではない。かけちがったボタンはとまっても、必ずとまらないボタンがある。そう、歯車は時間をかけて狂う。 人があるがままの自然として憧憬と畏怖を抱き、思いを馳せるあの雄大な大地に、そういう生の歪んだ生き物がいることが哀しかった

          『OSO18 "怪物ヒグマ"最期の謎』 NHK

          『 皿の中に、イタリア』 内田洋子

          『皿の中に、イタリア』 内田洋子 2014年 講談社 去る正月、青春18きっぷで日帰り栃木まで旅をした日とともにあった本なので、それも交えて書こうかな~。 各駅停車に揺られ、何となく目に留まって買ったエッセイを開き、旅は始まる。入れ替わる人の気配、足元に寄せては返す冷気、聞き流す車内アナウンス。 ところで私にとって電車の座席は、座った瞬間から絶対領域である。揺られる感覚と合わせてそもそも好きなので、鉄道旅が向いている気がする。 ときおり意識に潜りこんでくる駅名に顔を上

          『 皿の中に、イタリア』 内田洋子

          『 儚い羊たちの祝宴』 米澤穂信

          『 儚い羊たちの祝宴』 米澤穂信 2011年 新潮社 ※ネタバレ含む 総じて感じることは、悪意のない悪意が頭に浸透するような不思議な感覚。皆育ちと根の良さがにじみ出る人柄を醸すことで、無害な心に芽生える悪意。 種明かしの巧妙さ。薄々何かがおかしいことを感じる。言葉にできないわけでもない。予想のつく展開。しかし最後の一文で酷に裏切る。展開で裏切るのではなく、どれほど最後まで話をつなげ、端的に、巧妙に、読み手の心の芯を冷やすか。一寸先は闇。短編小説の真髄を垣間見た。 個

          『 儚い羊たちの祝宴』 米澤穂信

          『アフガニスタンの診療所から』 中村哲

          『アフガニスタンの診療所から』 中村 哲 1993年 ちくま文庫 「近代化された自我には個性的な顔がない。日本の女たちには少ないかがやき、あくの強さ、しぶとさと弱さ、高貴と邪悪が素直にとなり合っている。 アフガニスタン-それは光と影。強烈な陽光と陰影のコントラストは現地の気風である。暗さが明るさに変わる奇跡を私は信ずる者である。」 「だが、まるで異物を排して等質であることを強制するような合意が日本社会にはある。ある種の底意地の悪い冷厳な不文律が、いかようにも説得力のある拒

          『アフガニスタンの診療所から』 中村哲