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心配とは神敗 【日本語と心】

みなさん、こんにちは。

Rikakoです。

今日は日本語のお話です。


noteでもブログでも、一つのテーマに絞って書くほうが

ビジネス上も、フォローしてくださる方からしても良いのだろう

と、

何とかしてワンテーマで書いていくと行動しようと思っていたのですが、

そうすると全く書けなくなり、全然先に進まない自分がいました。。


ですから、ジャンル・時系列、といった統一性は無視します!!

だって書けなくなって、頭の中がパンパンになって、フラストレーションが溜まるのですもの。


話は戻って、大好きな日本語のお話です。

日本語は、同音異義語が多い言語です。

同じ音なのに、違う意味の言葉、多いですよね。

日本古来の大和言葉と漢字が組み合わさったからこそ、

同じ音でも漢字(表意文字)を思い浮かべたりすることでその時にどういった意味を持つのかが正確に伝わります。

表音文字しか持たない言語(英語=アルファベットが有名ですね)が同じように同音異義語をたくさん持つと、大変なことになります。。


同音異義語が多い日本では、

ダジャレが多いです。

日本に残る和歌も、同じ音の言葉で二重の意味を持たせる技法が多く使われています(自然の風景・情景を示しつつ、心情・読み手の心の状態を現す)。

今でも、笑点の大喜利では「かけた」言葉で人を笑わせますね。

ダジャレは、「一つの音に、二つの意味があるから面白い」

というものですが、


「同じ音の別の漢字を当てはめることで、ある言葉の意味が一層よくわかる」

という場合もあるのです。


その例として、今日は「心配」をあげます。

最近の、世間や個人の心の中にはびこっている感情No.1だと思います。


コロちゃん(例の新型ウイルスのことを私はこう呼んでいます)によって、

不安、心配、恐怖、、、自分の中からふつふつと沸き立ってくるのではないでしょうか?

(でも、ずっとその感情に苛まれているのなら、コロちゃんをきっかけにして今まで蓄積してきたモノが噴出しているんですよね、、、、、

コロちゃんは原因ではない、、、、)


心配って、何なんでしょう?


しん‐ぱい【心配】 の解説
[名・形動](スル)
1 物事の先行きなどを気にして、心を悩ますこと。また、そのさま。気がかり。「親に心配をかける」「将来を心配する」「心配な天気」
★心配/気がかり/不安 の共通する意味
何か悪いことが起こらないかと考え、心が落ち着かないこと。
(「goo辞書」より)


お母さんって、よく心配しますよね。。。

私は子供を産んで、(今まだ子は0歳ですが)心配する母としての気持ちが少しは分かりました。

が、

しっかし、何であんなに心配されると、モヤモヤイライラするのでしょう?

辞書の言葉だけ見ていると、

「まだ起こっていない未来」について「悪い結果を想定」して「心が落ち着かない

という意味なんです。


この時点で、心配してくる人・心配ばかりする自分が、どう対処すれば心配しなくなるか分かりますよね?


そうです、


「落ち着けよ!!!!!!!!」


です。

結局、「心配」している状態とは、心が落ち着いていないのです。


心さえ落ち着いていれば、

まだ見ぬ未来ばかり見つめることも、

未来をオーバーに悪く想定することも、

その想定を他人に撒き散らしたり、発散することも、

なくなるのです。


では、どうして落ち着くことができないのでしょう?

どうしたら落ち着くことができるのでしょう?


ここでご登場いただきたいのが、

「神敗」(しんぱい)

です。


読みは同じ、でも違う漢字を当てはめてみました。


神に/神が敗れる(かみに/かみがやぶれる)


ということです。


ここは、神社がコンビニエンスストアよりも多く建っている国、日本です。

日本は、今では宗教が多様になりましたけれど、

基本的に、亡くなった人は、神様か仏様のいずれかになります。


キリスト教圏にはない、

神=自分、自分も神さま・大いなる宇宙の一部

という思想があります。


本来、人間も神さまなのです。

噛み砕いて言えば、

自分の中に、何でもできる自分、可能性を秘めている自分、最高の自分、願いを叶える自分、

がいるのです。


かみ = 神 =(音読みで)シン = 真 = 信 


自分が「神(かみ・シン)」であるとすれば、すなわち

「真(まこと)」「信(しんじる)」対象だということ。


何でもできる自分、可能性を秘めている自分、最高の自分、願いを叶える自分、って、

本来の自分=真実の自分=信じることのできる自分

ということになります。


自分が自分を信じていて、「自分は神さまなのだ(やばい意味ではなく)」

と思えていたならば、

「心配」しないはずなのです。


心配とは、自分の中の神が負けること。


神さまであるはずの自分・他人を信じていない状態。

「不信」=「不神」ですからね。


つまり、他人の心配ばかりしてくる人は、

心配する対象の人物を、

その人の可能性・実力・能力を、

信じていないことになります。


だから心配されるとモヤモヤイライラするのですね。

(心配してくる人に悪意はなく、その人の愛情であるけれども)

心配されるということは、「お前のことは信じていない・悪い結果になる」と宣言しているのと同じことになるのですから。


もちろん、人間にはバイオリズム・波・気分、というものがあります。

だから心配してしまうような心境には誰にでも訪れるのです。


しかし、常に心配し続ける、心配ばかりすることで気を紛らわしている場合には、

「神敗」

を思い出してください。


自分の中に眠る神さまを信じてください。

あなたは、ぜったい、大丈夫、です。




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