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#224 まだ見ぬ可能性を探す

私が一人じゃ気づけなかったこと。

それは、

真剣に学ぶのは楽しいということ

それを気づかせてくれたのは、
今となっては名前も思い出せない
ビジネススクールで出会った人たちでした。

真剣に頑張って馬鹿にされた記憶

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私が小学校高学年の時、クラスメイトから

「何で一人だけ、あんな真剣に頑張っちゃってるの」

と陰で笑われたことがあります。

私の大好きな音楽の時間に、先生が
「もっと大きく元気よく歌ってみましょう」と
言ったので、大きな声で元気よく歌い、笑われたのです。

その頃は近所の合唱団に入っていたので、
純粋に歌うことが好きで、一生懸命歌っていました。

でも、クラスメイトのその一言で、

真剣にやることは恥ずかしいこと

に思えてしまうようになりました。

そして、一人で頑張っても張り合いがないと
感じるようになりました。

そして、その言葉は呪いのように、
自分で頑張ろうとする度に蘇り、
私のやる気を削いでいきました。

いつしか、何事もそこそこ頑張っている、
物分りのいい人間だと思われることが
よいことだと疑わなくなっていました。

人前でうまくやり過ごしていると、誰からも馬鹿に
されずに楽に過ごせていいですし、

うまくいかないとかっこ悪い

と言い聞かせて社会人になっても何も困りませんでした。

学生時代にある程度勉強していたのが幸いして、
仕事もある程度要領よく進められて、
人間関係もそこそこに充実した日々を過ごせたのです。

仕事ができる人を見ても、あの人は住む世界が
違うんだなと、勝手に区別して見ないふりをすれば
それでよかったのです。

環境も立場も違う人との出会い

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仕事もそこそこにこなしていたある日、
上司から、ビジネススクールをすすめられて
断らなかったのも、物分りのよい人間として
相手から評価してもらおうと思ったからでした。

仕事を定時であがり、自分の時間を削って
ビジネススクールに通う。

休日はビジネススクールの課題に明け暮れる。

自分の時間を使って勉強するのは面倒だ
と思ってすらいましたが、実際に通い衝撃をうけました。

自分とは環境も価値観も違う受講者が、
真剣に考え、語っている姿を見て、
唐突に羨ましくなった
のです。

皆、知識量、経験値があり、前向きな考え方を
されていて、その全てに圧倒されました。

私、ビジネスについて何も知らなかったんだ…
成功している人、企業はそれだけのことをやってきたんだ…

今思うと当たり前のことなのですが、
当時はそんなことに気づけてすらいなかったのです。

これまで私が見ていた世界はなんて狭かったのだろう。

何でこれまでちゃんど頑張ってこなかったのだろう。

私もこの人達と一緒に真剣に考えたい、学びたい。

そう思ってからは、ビジネススクールの課題はもちろん、
授業前後の時間で他の受講者と積極的に意見交換を行いました。

普段は接することのない業界の方や職種の方と
フラットな関係で議論できる空間は、
とても刺激的で最高に楽しい時間でした。

私にとって課題は難しかったし、
一度として「これは完璧だった」というものを
提出できなかったのは本当にくやしかったです。

でも、真剣にやったからこそ、
「なるほど、やられた!」という清々しい悔しさは
私にとってとても心地よく感じました。

人から学ぶ、人と学ぶ

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ビジネススクールでの経験を得て職場に戻ると、
様々なことに気づくことができるようになりました。

考え方1つで、仕事にやりがいがもてること。

真剣に取り組むのは、決して笑われるようなことでは
ないこと。

そして、どんな人からでも学べること。

学ぶこと自体は一人でできても、
自分にない視点で物事を見ている人からの学びは
一人では得ることができません。

真剣になればなるほど、人から学べることが増えました。

時には相容れない考え方だと思うことがあっても、
話を聞くことで自分だけではたどり着けない結論を
一緒に見つけることができました

制約のある中で仕事をせざるを得ない昨今ですが、
そんな今だからこそ、

普段接することのない人と、

まずは一緒に何かをやってみること。


これが、新たな可能性を見つけられる一番の近道では
ないかと感じています。

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