見出し画像

Lapin Ange獣医師の「ネットで見たんだけど・・」 #20: 豚の耳に...念仏より消毒

今年(2024年)に入ってから4月末まで,#14〜#19および番外編を含めて7本の記事を投稿して頑張っていたのですが,その後,ちょっとサボっているうちに2ヶ月が経過し,「あぁ,書かなきゃ」と思っているところに「日経メディカル」の記事が目につきました。
記事のタイトルは「ペットのおやつから多剤耐性サルモネラ菌のアウトブレイク」です。 世界的な科学ジャーナルである Lancet に先月掲載された報告の内容をピックアップしたものです。 元の報告 "Outbreak of multidrug-resistant Salmonella infections in people linked to pig ear pet treats, United States, 2015-2019: results of a multistage investigation" は,私もざっと読んでいて,noteに書こうかと思っていたので,重い腰を上げてペンを取りました(「ペンを取る」という言い方も,いずれ死語になるのでしょうか? 私の場合,実際には「MacBook proを開く」のですが,若い人たちは iPadやiPhoneでパソコンのキーボードと遜色ない速度で入力できますね)
日経の記事タイトルを見ると,ワンちゃんたちペットが,衛生管理が劣悪なおやつを食べて感染した,という内容かと想像されますが,元の報告のタイトルには,ペットのおやつに関連して起こったヒトの集団感染であることが明示されています。
米国で何が起こったのか,日経の記事が簡潔に纏めてくれているので,これを紹介します。

ペットのおやつから多剤耐性サルモネラ菌のアウトブレイク

(日経メディカル 2024/06/19)

 米疾病対策センター(CDC)のMegin Nichols氏らは、2015~19年に34州の154人の患者に、ペットのおやつ用として米国に輸入されていたブタミミが原因と見られる多剤耐性サルモネラ菌感染のアウトブレイクが起こっていたと報告した。
 犬や猫などのペットは、便を介してヒトにサルモネラ感染を引き起こす可能性がある。動物由来のペットフードなどがサルモネラ菌の感染源になり得ることが知られており、ブタミミからヒトへのサルモネラ菌感染が初めて報告されたのは1999年で、この時にはカナダで感染が発生した。
 著者らはゲル電気泳動やゲノムシーケンスを用いて、ペットのおやつ用として市販されていたブタミミに起因するサルモネラ感染症の株を特定し、米食品医薬品局(FDA)、州政府と協力して、2015~19年に複数の州で発生したアウトブレイクの調査を行った。サルモネラの血清型は、最初に特定されたS. enterica I 4,[5],12:i:-から、London、Infantis、Newport、Rissen、Cerro、Derbyの7種類に拡大した。分離株に対して全ゲノムシーケンシングを行い、抗菌薬耐性の有無を予測した。
 調査の結果、2015年6月10日から2019年9月15日までに、34州の154人が該当する株による症例と判定された。そのうち145例(94%)は2018~19年に発生していた。患者の年齢の中央値は40歳で、範囲は1歳未満から90歳までだった。5歳未満の小児が20%を占めた。経過に関する情報が得られた133人のうちの35人(26%)が入院しており、うち6人が5歳未満で、6人は65歳以上の高齢者だった。死亡した患者はいなかった。
 発症前の情報が得られた122人中107人(88%)が、発症前7日間に犬と接触したと報告し、97人中65人(67%)は犬おやつ用ブタミミを手にしたと報告した。手洗いの習慣について回答した47人のうち、15人(32%)はペットフードやペットのおやつに手を触れた後に必ず手を洗うと答えたが、18人(38%)はほとんどまたは全く洗わないと回答した。また5人(11%)は飼い犬がブタミミ摂取後に細菌感染と思われる下痢などを発症していたと述べた。製品のサンプル調査では、10州で市販されていたブタミミ137製品からサルモネラ菌が検出された。110製品(80%)から分離された株はヒトから分離された株と遺伝的類似性が高かった。それらの中には、アルゼンチン、ブラジル、コロンビアから輸入された製品が含まれていた。また、4匹の犬の便からサルモネラ菌が検出された。
 全ゲノムシーケンシングでは、ヒトから分離された137株のうちの105株(77%)と、ブタミミ135製品のうちの58製品(43%)から分離されたサルモネラ菌株が、3種類以上の抗菌薬に対して耐性を示すと予測された。
2019年7月31日にCDCとFDAは、ペットの飼い主に対して、ブタミミの購入とペットへの提供をやめることを勧告した。販売会社には汚染された製品のリコールを促し、6社が実施した。CDCは、ソーシャルメディアなどを通じて、ペットフードまたはペットのおやつを触った後と、便の掃除をした後に手を洗うよう呼びかけた。
米国の複数の州で発生した、ペット用のブタミミが原因と考えられる多剤耐性サルモネラ菌感染のアウトブレイクに関する報告はこれが初めてだ。著者らは今回の調査から、国境を越えて流通するペットフードからの感染症の広がりを予防するために、人獣共通感染症の病原体を対象とするサーベイランスが必要なことが示唆されたと述べている。


本シリーズ "Lapin Ange 獣医師の「ネットで見たんだけど・・」" の #16「生ものに注意」の中でも言及したように,加熱不十分であったり衛生管理が不適切なフードなどによる病原体への曝露は,ワンちゃんだけでなく,それを取り扱ったオーナーさんや,そのご家族にまで危険が及ぶ可能性があります。
上記報告の対象となった米国でのアウトブレイクは,ヒトが,サルモネラに汚染されたブタ耳を触ったことで(経口的に)感染したのか,そのブタ耳を食べた(ことでサルモネラに感染した)ワンちゃんの排泄物を介して感染したのかは明確ではありませんが,恐らくはこれら両方であろうと推察されています。 

 私がちょっと驚いたのは,調査対象となったヒトの38%が,ペットフードやペットのおやつを扱った後に,ほとんどまたは全く手を洗わないと答えたということです。[米国人,手を洗わんの?] また日本人なら,本当は洗ってなくても,恥ずかしいので「だいたいは洗ってますけど・・」とか言うと思うのだけど。[米国人,正直なん?] 私は,学生の頃から,自身の感染防御と,手術や実験で汚染,コンタミによる影響を避けるために,頻繁に手を洗うのが習慣になっています。 妻もクッキーやパン,ケーキなどを作るため,しょっちゅう手洗いと消毒をするので,我が家の洗濯カゴは毎日タオルでいっぱいになります。[米国人,なぜ靴のままベッドに上がるの?] ただ,よく考えると,感染が認められた症例の人たちが分母なので手洗いをしない人の割合が多かったのであって,言い換えると,手を洗わない人たちなので感染した,と考える方が理解しやすいですね。

 O-157やノロウィルス感染のアウトブレイク,またCOVID-19パンデミックの際も,微生物学や公衆衛生の専門家が「手洗いとうがいを!」と繰り返しました。 これに対して,なんだかよく分からない「自称専門家」や,さかしらする門外漢の「有識者」が,「バカのひとつ覚え」とか「意味がない」などと批判するのをよく目にしましたが,手洗いの効果は間違いなく絶大です。 目,鼻,口からの感染は,ほとんどの場合が自身の手を介したものと言っても過言ではないと思います。  私たち獣医師は感染源となる可能性のあるものを触ることが少なくありませんが,そのような作業をした後,手を洗うまでは,少なくとも自分の首から上は絶対に触りません。 また微生物や遺伝子など,厳格な清潔が求められるものを扱うとき,手洗い,消毒をした後は,滅菌された器具など以外のものには触れません。 しかし,そうしたことに慣れていない人は,触ってしまいます。 ダメだと理解していても触ってしまうのです。 そして「今,髪を触ったやん」などと指摘すると,必ず「触ってません」と反論します。 彼らは嘘をついているのではなく,無意識の行為なので,自分でも認識できないのです。 実は,研究者や獣医師の中にさえ,そうした作業が不得手な人たちがいて,手順を守っているのに,雑菌が入ったり,RNAが(コンタミのせいで壊れるため)適切に採取できないなどの結果になりがちです。 話を戻すと,感染防御において手洗いは,簡単かつ非常に効果的な方法だということです。

 さて,日本でも,ペット用のブタ耳からサルモネラが検出された例は報告されています。[Yukawa S. et al.: Characterisation of antibiotic resistance of Salmonella isolated from dog treats in Japan. Epidemiol Infect (2019)] この2019年の調査報告において,イヌ用トリーツからのサルモネラの検出率は2%と低かったものの,ヒトの健康被害に繋がる可能性が示唆されました。 この点について著者は,「日本においては,イヌ用フードおよびトリーツの細菌混入に起因する製品回収事例やヒトへの 健康被害が報告されておらず・・」と述べましたが,2021年にはブタ耳,ブタ鼻の製品からサルモネラが検出され,販売者が回収・返金した事例が発生しております。
 これらの製品からヒトの健康被害に至ったという事例はまだ耳にしませんが,上述の通り,ウンチの処理をした後だけでなく,ワンちゃんのフードやおやつを触った後にも,しっかり手洗いをするようにしてください

薬剤耐性菌

今回の報告においては,ブタ耳というペットのおやつを介したヒト感染が州を跨いで広範に発生したことに加えて,多剤耐性菌について調査し,それが相当な割合で検出されたことが重要なところです。 
 「薬剤耐性(AMR)」や「MRSA」,「院内感染」という語が,一時期,非常に頻繁にメディアに登場したことは,ほとんどの方が記憶されているかと思います。 病院や高齢者施設において,従来有効であった「効くはず」の抗菌薬が効かない,薬剤耐性菌の感染により,短期間のうちに複数の高齢者が亡くなった事例などが度々報道され,これらの施設での清掃や消毒が強化されました。 抗生物質の多用,乱用がこうした耐性菌の出現を招いていることが広く解説され,一般の方にも知られるところとなりました。 実際,かつては,ちょっとした風邪症状でもクリニックに行くと「とりあえず抗生物質を出しておきます」というようなことは普通にありましたし,医薬分業が進んでいなかったことも,安易な処方に繋がっていたのかもしれません。 当時,米国の友人宅を訪れた際,歯科で親知らずを抜歯して帰宅した息子さんが,腫れ上がった頬を冷やしながら消炎鎮痛剤だけを服用していたので,「抗生物質は?」と聞いたところ,父親であり医師の友人が「かつては抗生物質を多用していたけれど,耐性菌の懸念があり,本当に必要な場合以外は処方しなくなった」と言うのを聞いて,納得しつつも「歯肉切開して親知らず抜いたのは,必要な場合にならんの?」と思った経験があります。 
 ともあれ,医療機関や高齢者施設,また商業施設や一般家庭においても,感染防御についての意識や運用が進み,耐性菌について,かつてほどには報道されなくなりました。 しかし,もちろん耐性菌の問題,懸念がなくなったわけではなく,細菌が薬剤耐性を保有する率は今も急激に増加し続けており,このことはブタ耳のサルモネラ菌に関する調査結果にも表れています。 2022年にTHE LANCET に掲載された論文 "Global burden of bacterial antimicrobial resistance in 2019: a systematic analysis" によると,2019年,薬剤耐性菌の感染症により世界で120万人以上が死亡しており,これはマラリアやエイズによる死者数よりも多い数です。 さらに,薬剤耐性菌が間接的に関連した疾患で死亡した人を含めると,約500万人が死亡したとのことです。

耐性菌に対しては,
1) 感染しない 
2) 既存の抗菌剤を適切に使用する 
3) 新規の抗菌剤を開発する

という方策が考えられますが,私たちにできるのは次のようなことかと思います。

1) 清潔を保ち,手洗いなどを徹底する:上記のとおり,ウンチの処理をした後だけでなく,ワンちゃんやフード,トリーツに触れた後にも手洗いを願います。
2) 動物病院を含めて,医療機関でむやみに抗菌剤の処方を求めたりせず,また残った薬剤は適切に廃棄する:安易な処方,乱用を避けるのは医療機関の責務で,これは近年進められていますが,私たちも意識することが必要です。 投与された抗生剤の一部は,代謝を受けずに身体から排出されて下水に入る可能性があり,また不適切に廃棄された薬剤はそのまま環境中の薬剤量増加につながるため,これらは耐性菌の出現を誘発する可能性があります。 

新規の抗菌剤開発については,非常に難しい問題があります。
1980年代以降,新しいクラスの抗菌剤は出現しておらず,現在,抗菌剤の開発を行っている企業はごくわずかしかありません。 これには様々な事情があるのですが,一言で言うならば,「利益にならず,まったく採算がとれない」ことが理由です。 こう言うと「製薬会社の儲け第一主義が・・」と安直な批判をする声が必ず起こるのですが,企業が利潤を追求するのは当然で,経営を維持することは株主や社会に対する責任です。 問題は,新規薬剤を開発するために要する費用に比べて,それを販売することで得られる利益が圧倒的に小さくなってしまうシステムにあると考えます。 薬剤耐性菌によって近い将来起こり得る深刻な事態について,各国政府機関が協力して取り組むべき課題であり,まさにその時期にきていると考えます。

豚の耳の話題から,つい話が大きくなってしまいましたが,要は,ワンちゃんやご家族のためにも,感染リスクが小さくないフードやトリーツは避け,手洗いを心がけましょうということでした。

追記 (2024年 7月 4日 )

 先日この記事を公開した後に内容を読み返し,もしかすると抗生物質の処方,使用が全て害悪であるように誤解されるかもしれないとの懸念を感じ,書き方が良くなかったかなと反省しました。  抗生物質はもちろん極めて有用性が高い薬剤であり,これまで様々な疾患から人間や動物を救ってきました。 必要なのは「適切な使用」です。 先の投稿時には,話が複雑になるのを避けるために省いたのですが,種々の抗菌剤の中には,耐性菌の出現しやすいもの,そうでないものがあることが判っており,WHO世界保健機関によってAWaRe分類なる指標が開発されています。
 AWaRe分類では,「必須医薬品リスト」を基に抗菌薬を次の3つのグループに分けています。(グループ分けは定期的に更新されます)

  • Access:第一選択及び第二選択薬の抗菌薬

  • Watch:医療において重要であり,かつその使用により耐性菌が選択されるリスクが比較的高いため,第一選択及び第二選択薬としての使用を制限すべき抗菌薬

  • Reserve:最後の手段として使用する抗菌薬

 すなわち「Access」に分類される抗菌薬は,耐性菌を生み出すリスクが小さく,このグループに属する抗菌剤を処方,使用することが推奨され,WHOは抗菌薬使用全体のうちAccessの割合を60%以上にすることを目標としています。 日本でも,Access 60%以上あるいはAccess処方率において上位30%に入る医療機関に対して,「抗菌薬適正使用体制加算」の算定を認めるなどしています。
 あくまでも抗生物質の乱用が良くないのであって,適正使用される抗生物質は害悪ではありませんので,誤解なきようお願いします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?