心療内科に行ってみた③

心療内科で自律神経失調と不眠症の診断を受けた。上司に報告をして、配置転換になるまでの紆余曲折。今思えば、早めに自分の置かれた状況を受け入れればよかった。でも、プライドが許さなかった。

不本意な配置転換

直属の先輩(キャップ)にも診断名を伝えた。キャップは私の能力を買ってくれていた。「体調が戻るまではゆっくりでいいから。配置転換じゃなくて、現場の働き方を変えてやっていけばいいよ」。一度つかんだ役職だ。しんどいけど、やりがいもある。

通常の任期は2年。このままだと1年もたたずに終えることになる。どうにか続けたいと思う気持ちがあった。

だけど、体調は好ましくない。診断を受けて、薬を変えてもらって、少しだけよくなっている気はした。続けられるなら、続けたい。だが、部長からの電話で戦力外通告に続き、解雇通知並みに威力がある言葉が出てきた。

「お盆明け(1週間後)には別の人に引き継いでもらおうと思う」

「私が続けたいといって決められることでは、もはやないということでしょうか」

「産業医と人事がえらい心配してね。このままだったら、うつになりかねないとか。早めに手を打って、環境を変える必要があると思うねん」

電話では何だからと会って話すことになった。そこでの会話は断片的にしか覚えていない。

「あなたはとても優秀だし、これからやりたい分野もあると思う。なのにここで、体調を悪くして心まで病んでしまってはいけない」

「期待をしているから、ゆっくり休んでほしいと思う」

「環境を変えてゆっくりすれば、またやりたいことができるから」

けど、すぐに代われる役職ではない。後任にしっかりと引き継ぎがしたかった。「不本意な配置転換だ」、「でもサラリーマンなので受け入れる」「だけど、代わるまでに1カ月はほしい」と言った。

「これはドクターストップだよ。人事から早めにって言われてるねん。僕自身も早めに代わった方が、あなた自身のためやとも思う」

そうか、そうだよねー。けど、能なし人間って言われたみたいで本当につらかった。仕事も好きだったんだなあ。

でも何だかんだで1カ月は引き継ぎの猶予をもらえた。有り難い。

砕けた自尊心

だけど、マルチタスクができなくなっていて、仕事にも支障が出ていた。戦力外通告で、ちっさいけど一人前にあったプライドもズタズタになった。

だけど、体は疲れ果てている。最初に、サツ担は直感が磨かれる仕事と書いたが、この時には直感もクソもなくなっていた。人と会話を続けることもしんどい。配置転換を求められ、もうどうでもいいって気分にもなった。毎日毎日、殺された、盗まれた、殴られた、刺されたetcと、人が傷ついたことを聞くのも書くのも嫌になっていた。

以前は、「どうして親は虐待してしまったのだろう。行政は何もしなかったのかな」「空き家の空き巣が増えてるな。対策ってあるのかな」と、ストレートニュースから想像を得て、記事にすることも少なくなかった。

だけど、この頃は社会のことに興味関心もなくなっていた。自分のことで精一杯だった。

そんな様子が落ち込んでいるように見えたのだと思う。配置転換の指令が出てから、デスクや先輩たちが励ましてくれた。「能力は十分だよ」「よく頑張ってくれた」「また一緒に仕事しような」。有り難かった。

交代のあいさつをするうちに、捜査員でも褒めてくれる人がいた。少しずつ、自分って頑張ってたんだなあと、自分自身を認めてあげられるようになった。

ご飯が少しずつ食べられるようになり、好きだった料理も再びできるようになった(同時並行でいろんな料理を作るということができなかった)。

とあるテーマで記事も書きたいと思い、文献を読んで準備を進めていた(これまでは本を読んでも読んでも内容が入ってこなかった)。ちょっと元気になってきた。

順調に回復

9月に入り、鍼灸院の治療に通い出した。今まで寝付くまでに1時間強、1時間に1回目が覚めるという不眠の有様だったのが、改善もされてきた。頭痛やめまい、立ちくらみ、耳鳴りはまだあるものの、ピークだった7月よりかはだいぶ良くなっていた。

心療内科は2週間に1度。出してもらう薬は漢方2種類で変わっていなかった。鍼治療に行きだして良くなっている気がすると話すと、H先生もそれはよかったと喜んでくれた。

だけど、最後の追い打ちをかけるように、特大ストレスが降りかかる。

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