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何もできないときは何もしないという選択が大事だという話

キーー
っと電車が急に止まった

安全のためよく停車や減速するのでそれ自体は珍しいことではない。
だから、「ちょっとしたらまた走り出すだろう」と軽く考えていた。おそらく車両に乗っていた人全員がそう思っていた事だろう。
しかし、次のアナウンスでその雲行きが怪しくなる
「ただいまこの車両にて人との接触が確認されたため、停止しております」
ん?人と接触?
なんだかただ事ではなさそうだ。

私はその日、友人とランチを食べるため電車で名古屋へ向かっている途中だった。
そして名古屋までのこり20分くらいのところで、この事件が起こったわけだ。

普段から1時間~30分前行動の私は、多少の遅れがあってもまぁ大丈夫なのだが、今回はこれがまたいけなかった。

何がいけなかったのか?というと・・・
30分前だから、「ひょっとしたらまだ間に合うかもしれない」という
”希望””期待”が生まれてしまったのだ。
だから、「早く動かないかな?」
なんて焦りの心が生まれる。

自分ではどうしようもないことに焦っても、諦めるしかないという事をさんざんラオスで学んできたのだけれど、しばらく日本にいるうちにすっかり日本人化されてしまったようだ。・・・いや、日本人なんだけれども。

さて、電車は停車して早くも15分が経とうとしている。
残り15分以内に動き出さないと、いや、多少遅れたとしても30分以内には動き出さないと、ランチをキャンセルしなければいけなくなってしまう。

でも、きっと人との接触があった車両が30分以内には動き出さないだろう。
・・・・心の奥ではわかっていた。
だけれど、私は期待してしまっていた。希望をもってしまっていた。
ひょっとしたらもうすぐ
「ただいま点検を行いましたが異常が見られなかったため、運行を再開します」
というアナウンスがながれるんではないだろうか?
予定の変更ないまま1日が過ぎてくれるのではないだろうか?
と。

しかし、実際に流れたのは
「ただいま車両と人との接触が確認されたため停車しています。お急ぎの方にはご迷惑をおかけしますが、今しばらく時間がかかると思われます
というアナウンスだった。

ここで私が幸運だったのは、この放送をきっかけにあきらめることができたことだ。
もしあきらめきれずにいたら、悶々と、イライラとが募っていってただろう。
しかし、
「あ、今日はそういう日なのね。」
とあきらめることができた。

で、すぐにレストランに電話
「車両が人と接触して止まってるので、今日の予約はキャンセルしてください」
友人にもライン
「ごめん。車両止まってて今日はランチ間に合わん。また動き出したら連絡するけど1時間以上は遅れると思う」

周りではぷんすか怒っている人や、大阪へ間に合わなくなってしまったと落胆している人、仕事の都合だろうけど丁寧に謝っている人などが数名見受けられる。

私はというと、あきらめたのだから何もすることがない。
いつ動き出すのかもわからないなかで、携帯の電池を減らせないから携帯を見る事もない。
名古屋へは手ぶらで向かっていたので本も持っていない。

この時私の脳裏に浮かんだのは
「ちょうどええやん!」
だった。

ラオスにいるときは何もない、何もしない時間というのが自然ととれていた。しかし、日本にいると、案外何もしない時間というのはとりにくい。
意識しても中々とれないものなのだ。
『手の届く距離に常に何かすることがある環境・なんでもできる環境』
それが現状なのだ。

そんな時に起きた電車の停車。
日々の「手の届く距離に何かできる環境」の中、「手を伸ばそうが足を延ばそうが何もすることのない環境」が訪れたわけだ。

私は頭を切り替えた。
ちょうどいい機会。
頭を空にしよう。

フ―――――っと息を吐きだして
スゥ―――っと息を吸う。
フ―――――っと息を吐きだして
スゥ―――っと息を吸う。

最初のうちはいろいろ考えがまだまだめぐっている。
なんというか、脳の中が電気がバチバチ動いている感じ。
それが次第に考えることをやめ始める。
脳の電気が静かになり始めたころ、波がやってくる。
静かな波に脳が熔ける

ぐぅーーっと気持ちよくなり、時間を忘れる
そして世にいう瞑想状態に入ってしばらくしたころ
"ピンポン!"
とアナウンスが鳴る
ふと目が覚める。
「ただいま警察と消防車が来て現場を検証しています」

時計を見ると40分以上がたっていた。
既に約束の時間は過ぎている。
でも何も気にすることはない。
「だって気にしたところで行けないんだもん」
と開き直ってみる

もう一度目をつむる。
だって何もすることがないのだから。

それからしばらくしてもう一度社内放送がなり、もうすぐ動き出せそうとのことだった。
私の頭はすっかりスッキリしていた。そして私が最初に思ったことは
「電車が思ったより早く動き出したな。さすが日本の対応」
だった。

無事に走り出した電車は、途中駅で停車し、そこからは乗換で名古屋へ向かうらしい。
さすがの乗換に電車は満員だったが、ありがたいことに座ることができた。

そんな満員電車の中で、おひとりご高齢の方が向こうから人をかき分けて歩いてきた。「え、なんで誰も席譲らんの???」
と驚きながら私は席を立ち、ご老人に声をかけた。
すると、彼女は深々と頭を下げ、何度も何度も「ありがとう」と言って席に着いた。
そして私より先の駅で下車した彼女はもう一度私にお礼を言い
「あなたの一日がいい日であることをお祈りしています」
と多大なる感謝の意を示してくれた。なんて素敵な感謝の示し方だろう!と感激し、私はすっかり、ランチに遅刻したことも、電車が停車していたことも忘れていた。

そして足取り軽く約2時間遅れた友人の待ち合わせ場所へ駆けつけた。
キャンセルしたレストランはまだ営業していて、電話したら「大変でしたね。まだ大丈夫ですよ」と暖かい返事。
友人も「せっかくなのでそこでランチしよう」
と、おなかをすかせて待っていてくれたらしい。

かなり遅めのランチを頂きながら、結局人の温かさにふれた良い一日となりました。
皆さんも不慮の事故や手違い、天災などでどうしようもない時は、一度諦めてみることをお勧めします。

サポート頂いた場合は、食べれる森作りを中心に、南ラオスの自然を大切にする農場スタッフのための何かに還元させてもらいます。