英単語を身につける上でぶつかる大きな壁 "Lexical bar"
もし、仮にですが、中学でドイツ語の単語をある程度覚えて「やれやれ」と思っていたところ、高校になって「じゃあこれからフランス語の単語を覚え直してください」と言われたらどうしますか?
「とんでもない!」と思うのがふつうでしょう。
英単語の暗記で「いつになったら終わるのだろう?」と途方に暮れた経験をした人が多いなら、もしかすると"Lexical bar"にぶつかっているからかもしれません。
いろいろな歴史の偶然が重なって、いまや国際実用語となった英語。国際実用語には向いていない難しさのうち2つ目は、英語の語彙が複雑であること、ざっくり言えばハイブリッドの二重構造になっていることです(蛇足ながら日本語の語彙も似たようなことがあるらしいです)。
次の例は、日常的な基本語彙とその派生語・関連語について、英語と西仏伊語で比較した例です。
(日) 風 ⇒ 換気
(英)wind ⇒ ventilation
(西)viento ⇒ ventilación
(仏)vent ⇒ ventilation
(伊)vento ⇒ ventilazione
(日) 冬 ⇒ 冬眠
(英)winter ⇒ hibernation
(西)invierno ⇒ hibernación
(仏)hiver ⇒ hivernation
(伊)inverno ⇒ ibernazione
(日) 月 ⇒ 月食
(英)moon ⇒ lunar eclipse
(西)luna ⇒ eclipse lunar
(仏)lune ⇒ éclipse lunaire
(伊)luna ⇒ eclissi lunare
(日)歯 ⇒ 歯科医
(英)tooth ⇒ dentist
(西)diente ⇒ dentista
(仏)dent ⇒ dentiste
(伊)dente ⇒ dentista
西仏伊語は、基礎語彙がコアとなって、より高度な概念の語は、まさに派生語になっています。一方で、英語の形を見る限りは、基礎語彙と高度な概念との間では、脈絡がありません。
英語の語源辞典を見ていただくと、基礎語彙はいずれも、英語の「やまとことば」にあたるゲルマン系の古英語由来です。そして、関連語の方は、フランス語経由も含めたラテン語系の「外来語」です。このように、英語の語彙は、日常的な基礎語彙はゲルマン語系、より抽象的な「おとなの」語彙はラテン語系とハイブリットな構造になっています。
もっとおとなの表現をしたかったら、「もう一回別の語彙を覚えなさい」と言われたら、かなり面食らうはずです。英語学習者にはこういうめんどうな事態が、現実に起こっているわけです。
実際に、社会言語学者のコーソン(David Corson, 1985)は、英語の語彙のこうした構造は、ふだん、家庭において「短くて簡単な」アングロサクソン系語彙しか使っていない子どもたちが、学校で「長くて難解な」ラテン・ギリシア系の語彙に出会い、習得する際には、言語的障壁"Lexical bar"になると指摘しています。それはそうです。こんなに形が違いますから。
なお、言語的障壁"Lexical bar"は、たんに英語だけの現象ではありません。
言語の仕組みは異なるにせよ、日本語でも、語彙について同様のことが起こっていると松下達彦先生は指摘しています。私たちが話し言葉でふつうに使っている語彙に比べて、漢語(近年は、英語起源の外来語)を中心とした学術系語彙がとても難解に感じるのも非常に似たような話だからです。
たとえば、法律用語や金融用語、医学用語は独特です。新型コロナウィルス流行が始まったころ、感染症学や公衆衛生学などの医学専門用語が大衆メディアを通じて一挙にお茶の間に溢れました。これに対して「何を言っているのか全然わからない」という拒絶反応が起こったのも記憶に新しいところです。
以上が英語を難しくしている2つ目についてです。日本語でも、法律、金融、医学用語は難しいですよね。いつ終わるとも見当がつかない、英単語との格闘に心が折れそうになるのも自然なことです。あなただけのせいではありません。
さて、3つ目は文法が複雑であることです。すでに長くなってしまったので、この点については、次回に触れたいと思います。