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災いを福に転じる考え方。足首を折りかけて、リブランディングが完成できた話

こんにちは、ゆうです。英語にBlessing in disguise (災い転じて福となる)という表現がありますが、今日の記事は大怪我という不運を力技で幸運に変えた話です。

Blessingは幸運、disguiseは変装という意味なので、直訳したら「不運の皮を被ってやって来た幸運」となります。

ニーチェは「事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけである。」と残していますが、怪我など何かしらのピンチに陥った時にもこの言葉は当てはまると思っています。どのような解釈をするのかによって、怪我がただの不運に終わるか、それとも幸運に変えるかは自分次第だと思っています。

今日の記事では、私がエイッと力技で怪我を幸運の起爆剤に変えた過程を紹介していきます。もし今後みなさんが私のように怪我をして動けなくなった時、ピンチをチャンスに変えられるヒントになったらいいなと思ってこの記事を書きました。

1.何が起きて、どう感じたのか?

6月の半ばに、右の足首を折りかける重度の捻挫をバスケでしました。全体重を足首一点にかけた着地ミスで、医者からは全治1ヶ月と言われてしまいました。

私が滞在しているバンクーバー市は、年の70%の日が雨の日で唯一、6月~8月だけは晴れが続く雨の街です。バンクーバー民はこの短い夏にアウトドアを楽しむためだけに長い長い雨季を我慢しているとも言われています。夏は毎日が1粒の宝石みたいな価値を持つと言っても良いくらいカラッと晴れて、夜の10時まで明るいバンクーバーの夏は世界で最高の夏と言われるくらいです。

このゴールデンタイムに松葉杖をつかないといけないくらいの大怪我をしてしまいました。

みんなは世界最高クラスの夏を満喫しているのに、私はベッドの上で動けない。右足を地面に着けて歩けないから、自分の部屋からキッチンに行くまでも左足のケンケンで移動するしかない。それに、調理中も左足のケンケンだから、鍋に入った味噌汁を危うく左足の上にぶっかけそうになる。

ただ単に、悔しい。

生々しい怪我の写真を載せると気持ち悪くなってしまう人が出ると思うので載せませんが、イメージはこんな感じ。

足が蜂10匹に刺されたみたいにパンパンに膨れ上がっていた…


煌めく太陽の光がブラインドの隙間から入ってきて、ベッドの上で伸ばしている足に当たっていた午後の2時。


そこでこう思ったのです。

転んでも、絶対にタダでは起き上がらない!

この時、自分の中でスイッチが入ったのを感じました。治る頃には、何か1つ成し遂げている状態にしよう。そうでないと、あまりにも損じゃないか。バスケでも、ファールを受ける時に置き土産に2点決めてペナルティのフリースロー1点を決めれば、合計3点になるじゃないか。サッカーでも、ファールの時にペナルティーキックを貰えれば、これが決勝点になるかもしれないじゃないか。こうしたスポーツにおいては、倒れる時にはタダでは倒れない精神が発動するじゃないか。

そこで、何を成し遂げたら良いのかと考えた時、4年前に作った自分の英語指導のウェブサイトがダサくていつか作り直そうと思っていたのを思い出しました。しかも、レスポンシブデザイン対応じゃなくて、スマホで開いてもパソコンで開いたときと同じような見え方をするので、見にくいことこの上ない。

これは酷い。よく今までこれで集客できていたものだ….


ウェブサイトの作り直しには膨大な時間がかかるので、普段のスケジュールだと決して着手できなかったけど、仕事に行けなくなったこの今の間なら、ウェブサイトの作り直しだってできるじゃないか。と言うより、この機を逃したら二度とできないんじゃないか。

ウェブサイトの作り直しを決断するまでにかかった時間は10分くらいでした。

ついでに、カナダに来てから完全停止していたNoteもリブランドして再稼働し、インスタとも連携、Twitterもリブランドして再稼働しようと決めました。やることが盛りだくさん!

怪我の期間は1ヶ月、だからこの全工程を終わらせる期限は1ヶ月。

さっきまで「1ヶ月も怪我が続くのか」と落ち込むはずだったのが、「たった1ヶ月しか怪我の期間が無いのか」という考えにこの瞬間に変わりました。

冒頭で書いた通り、「事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけである。」とはまさにこのことです。解釈の仕方を変えるだけで、陰鬱な1ヶ月が、生産的な1ヶ月に様変わりしたのですから。



2.ウェブサイトの85%が完成するまで

決意をしたその日から、2週間ほど毎日8~10時間パソコンの前にへばりついてサイトを作る作業をしていました。まだ全然足が治っておらず、椅子に座るのが難しい状態でした。座って右足を床につけておくのが痛みで困難でした。

そこで、椅子を2つ用意し、1つは座る用、もう1つの椅子には右足を上げて乗せておく用にして、パソコンに向かうことにしました。痛いけど…痛みは執念の力で忘れるようにしました。病は気からと言いますが、痛みも気の力である程度何とかなるものだと、この時思ったものです。

昔の人はこれを心頭滅却と呼んだのだと思います。雑念を排して集中すれば、火の中でも涼しく感じるという意味です。

心頭滅却:集中力を極限まで上げれば、炎の中も歩けるという意味


この環境下で、サイトのデザインのラフ描きをしたり、色合いやサイト完成後のマーケティング戦略を考えたり、サイトで使う全画像のデザインやサイトで使う全文章を考えるのは苦行そのものでした。自分の部屋が、お寺か何かに感じさえしました。悔しさから生まれた執念から、このような馬鹿力を出せるのか!と自分でも驚いたものです。

この時点ではすでに、この重度な捻挫に対して多大な感謝をするようになっていました。

何なら、もう片方の足も捻った方がもっと力が出るのかな…と思ったり思わなかったり (←狂人か!)

ところが、この馬鹿力が出続けたのはある程度良くなってしまうまでの2週間でした。2週間経って、松葉杖が無くても少し歩けるようになったため、当初感じていた悔しさと執念が薄れてしまったのです。ウェブサイトの85%が完成したあたりで、段々パワーが出なくなってきました。

3.もう1回捻って残りの15%が完成

そんなとき、神からのもうひと押しなのか、もう1回足を捻るチャンスが巡ってきました。バスに乗ろうとしていたときでした。段差を踏み外し、2週間前に捻った右足を、今度は逆方向に捻ったのです。

あまりの痛みに、バスの入口にあるカードをタップするところで1分ほど床に倒れていました。運転手さんが「Can you stand up ? (立てる?)」と聞いてきたのですが、あまりの痛みに言葉が出ない….かろうじて頭を振るばかり。しかも、私がバスに乗るのが一番最後だったので、乗客全員の視線が注がれていたのを感じました。

恥ずかしすぎる。何だこのザマは!
この時また心に火がつきました。
絶対タダでは起き上がらない!

タダでは起き上がらない精神メーターが一気に0%から100%に充電されたので、家に帰ってからまた作業を開始。なんとその日の内に、サイトの完成度を85%から95%に上げることができました。

やっぱり、悔しさを執念に変えると、人間とんでもない力が出る。

残りの5%は微調整だったので、ゆっくりと時間を掛けておこないました。完成品をご覧ください!


正面ページ
だいぶスッキリした


高級感が出るように工夫し試行錯誤したデザイン


左側にある学習の流れの図を作るのに4時間かかったのですが…



ちなみに、バスで逆方向に足を捻ってから、前日まで化石みたいに固まって全く回らなかった足首の可動域が一気に上がり、足首が少し回るようになりました。

これも、Blessing in disguise (災い転じて福になる)なのでしょう。



まとめ

怪我をしてダウンした時、気持ちまでダウンしてしまうと、身に起きた禍は禍のままで終わってしまいます。「足首がたとえ折れたとしても、心までは折れないぞ」と、強い解釈をすることが、災いを福に転じる第一歩だと思います。

災難が降り掛かった時、どんな解釈をするかは自分次第です。どんな解釈をするにせよ、選択には結果が伴うため、選んだ解釈に見合った結果が伴うことになります。

災難が起きて、クソみたいな状況に叩き込まれた時、「タダでは絶対に起き上がらない精神」を発動させよう。道が拓けるに違いない。


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