可視化された神=はしら(柱)
本記事は日本の神の代名詞でもあるはしら(柱)という語のイメージと由来について記す。
なぜ、日本の神ははしら(柱)と数えるのか? という問いに対して、はしら(柱) という語の発音がどのようにできたか? を想定できていなければ、まともに答えることができない。
本記事では、今まで誰もうまく説明できていない以下の点をできるだけ合理的に説明することを目指す。
✔ なぜ、日本の神ははしら(柱)と数えるのか?
✔ はしら(柱) という語の発音はどのようにできたか?
はしら(柱)の起源
本章では はしら(柱) のイメージの起源と変遷について記す。
なぜ神という概念が生まれたのか?
最初に何を神と感じたのか?
はしら(柱)の概念は縄文時代に遡る。雷(= 神鳴り/神なり) の語が示すように、古くから日本列島に住んでいた縄文の人々は、まず第一に かみなり(雷) が超越者の存在を感じさせるものであったと思われる。
特に火山雷はもっとも恐れの対象となったと思われる。(天の神、山の神、火の神が同時に現れて接触する現象であるため)
時間的にも空間的にも滅多に見ることができない現象だが、この現象を見たら超越者のような存在を感じたに違いない。
落雷・稲妻は、轟音とともに上から下方向に動きながら発光する。
このような現象をどのように言葉にしたか?
縄文時代の人々は *pas ぱし または *pasir ぱしる と呼んだと思われる。(詳しくは後述)
この垂直方向に光が伝わることを *pasir ぱしる と呼び、それを概念化(名詞化)したものを *pasira ぱしら と呼んだ。(この *pasira ぱしら が 後に はしら(柱) という語になる)
また、同様に雲の隙間から下方向に伸びる光線も *pasira ぱしら と呼ぶようになったと思われる。
上記のように、もともと はしら(柱) は以下の自然現象を描写する言葉だったと考えるのが妥当であると考える。
✔ 落雷・稲妻
✔ 光線(= 目に見える光の束)
特に、光線 は 地上と天上をつなぐ道(*1)のようなイメージへ変化し、後に、天上の神と交信するために木柱を立てて祭りをしたり、神に祈る風習が生まれ、その木柱をはしら(柱)と呼ぶようになった。現在では長野県諏訪地方で行われる御柱祭が有名だが、柱を神聖視する祭りは古来数多く存在したはず。
おおまかに はしら(柱) の概念は、以下のように変遷した。
✔ 上から下方向への光(= 落雷・光線)
➔
✔ 縦方向に垂直に立てて配置した木柱
はしら(柱)の概念を言い換えると以下のようになる。
✔ 神の存在を可視化した現象
✔ 神の姿を感じるもの(= 神の存在証明)
なぜ、日本の神ははしら(柱)と数えるのか?それは、普段は見えない神が目に見える状態になったもの(= はしら)であると古代の人が考えたからと言える。
雷や光線(光の束)は数えることができる。よって、「神」は可算名詞(count noun)であり、序数詞(counter word)のはしら(柱)が存在する。
はしら(柱)の由来
本章では はしら(柱) という語の発音がどのように生まれたかについて記す。
縄文時代の古い音節として *pas-pas を想定(再構)し、そこから始まる派生図を以下に示す。*pas-pas は 火が燃える現象の擬音をルーツとする音節である。
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上記の図は JMC で示す縄文時代の語を再構し、アイヌ語と日本語の系統が相互に関連を持っていることを端的に示している。
音節(音韻)の変化として全世界共通の一般傾向として子音の弱化が挙げられる。子音 p の音は経年変化により p > f > h と変化する。日本語の「はし」という発音を例とすると、それは以下のように変化したと考えらる。
pasi ぱし ➔ fasi ふぁし ➔ hasi はし (➔ asi あし)
場合によっては、最終的に先頭の h が消失する。
要点をまとめると以下のようになる。
✔ *pas-pas および *pas は 火の燃焼の擬音だが、背後には火山噴火のイメージを持っていたと思われる。
✔ アイヌ語のpas(2) と as(1) の意味は、日本語の hashiru と ashi の意味と対応しているので、すでに縄文時代に pas と asが分岐していたと想定した。
✔ JMC *pasir から アイヌ語の pas(2) や 日本語の 走る・柱ができたと思われる。
✔ 日本語の はし(橋/端) は *pas/*pasir の系統から派生し、はし(箸)は *pasuy(= 火箸)の系統から派生したと思われる。
(そのため、アクセントも異なる)
重要なのはアイヌ語の語彙を調べないと日本語のこともよく分からないということである。言い換えると、アイヌ語という重要な手がかりを無視して日本語の由来を語ることはとても無謀であると言える。
アイヌ語と日本語の語彙を注意深く比べると、アイヌ語と日本語の由来をそれぞれ補いながら、両者について深く理解が進むように思える。
走るの意味と用例
日本語の「走る」の類似語として「駆ける」と比較して意味を考えると、「駆ける」は以下の例のように「人や動物が自らの足を使って目的に向かって急いで進む」という意味合いが強い。
「駆ける」の使用例
駆け足 / かけっこ / 追いかける / 駆け抜ける / 駆け込み寺 / 駆け込み乗車 / …
「走る」には「駆ける」の意味に加えて以下のような例がある。
「走る」の使用例
亀裂が走る / (目が)血走る / ほとばしる / …
「走る」には上記のような「光やエネルギーなど何らかの現象が空間的に枝分かれてして伝わる」という意味を持っている。この意味は 縄文時代の *pasir ぱしる が持っていた元々の意味を受け継いでいると思われる。
足の意味と用例
日本語の「あし(足)」の意味と使用例で注目したいのは、「雨足が強い」という例である。ここでは「垂直方向の(上から下への)移動・動き」のような意味を読むことができる。
この意味は 縄文時代の *pas ぱし が持っていた元々の意味を受け継いでいると思われ、アイヌ語で「(雨・雪が)降る」という意味を持つ as アシ にも引き継がれている。
日本語の「火の手が上がる」「火の手が回る」の「手」の意味は、主に水平方向への広がりを示しているのに対して、「あし(足)」は根源的に以下のような意味を持っている。
✔ (自然現象として)垂直方向の(上から下への)移動・動き
✔ 天上から光・雷・雨・雪などが降ってくる
脚注(Footnote)
*1
fig02 で示した イメージ 雲から漏れる光線 は古代出雲大社(杵築大社)のきざはし(階/木階)(= 階段)のモデルように見える。
本殿の中心に位置したとされる心御柱= 岩根御柱という名称からも はしら(柱)自体が信仰の対象であり中心であったと思われる。
改訂(Revisions)
2022 0828 初版
(以上)