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アメリカンドリームの狭間で

僕は故郷である日本から、カリフォルニア州ロスに移り住んでもう何年も経つ。あの若くて突発的で元気しか取り柄のない学生だった僕は,今では毎日熱心に仕事に打ち込み婚約者との充実した生活を送っている一人前の大人だ。ここロスのチャイナタウンに彼女と引っ越してきたのもつい何ヶ月前の夏の終わりの頃だ。

最近ふと僕の故郷はどこなんだろう、と思った。僕の心の中にある故郷、そう2011年の日本はもう存在していないんじゃないのか。学生時代の友達も皆大人になり、それぞれの人生を歩んでいる。絶え間ない人やモノの流れが、生まれ育ったあの街を何層にも塗り重ねたように、僕も故郷もまた成長していた。そしてこのロスという汚くも活気や人情味のある街で根を張りまた一段と成長しようとしている僕もここでの生活が心地いいのだ。学生だった頃は当然日本に帰りそこで生活を送ると思っていた、その時は将来のこと、例えば5年後自分はどこで何をしているだとかは全然想像出来なかった。まるで霧の中を闇雲に一歩一歩足を踏み出すみたいにあの頃は不安で満たされていた。このアメリカ社会での居場所はなく、また故郷であるはずの日本も僕が知っているソレではなくなりつつあったからだ。まるであの映画、ターミナルでトムハンクス演じる主人公が空港に取り残されるみたいに、僕は留学生という場所で変わりつつある故郷を尻目に大人になるのを待つしかなかったからだ。

元々アメリカという国はまるで僕みたいな、故郷から出てきたトムハンクス達がそれぞれ、その故郷の残像を持ち寄せてできている国なのではないのか?そして、ここチャイナタウンと近郊のリトル東京という地区は、僕みたいな記憶の浮浪者を、またアメリカでいうアジア人という一括りの人種として、アメリカンドリームという残酷な社会から、ちょっと一息できる場所なのかもしれない。


Chinatown, LA



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