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自然は意味を与えないが、人は意味を与える。

僕は長らく渋谷近辺に住んでいるが、早朝の渋谷というのはとりわけ好きである。クラブ帰りの血気盛んな若者や、おそらくワンナイトを過ごしたであろうぎこちない距離感の男女、スーツをビシッと決めたビジネスパーソン、眠そうな顔のサラリーマン、気持ちよさそうに散歩してるおばあちゃん、ゴミを処理してる清掃員。

ある人にとっては終わりの時間であり、ある人にとっては始まりの時間。多様な人がそれぞれの世界の中で生きている様子を観察できる。

しかし、そんな混沌とした渋谷を一つの世界観にまとめてあげてくれるのが「カラス」だ。

早朝の渋谷にはカラスが集まる。夜行性の人間が荒らした残骸を食べに来る。始発の電車ベルも渋谷に朝を教えてくれるが、それ以上に「カアァ、カアァ」という音は渋谷を夜から朝に変える。

そんな何か象徴めいた存在がカラスだ。

ということで今回紹介するのがこちらの本。松原始さんの『もしも世界からカラスが消えたら』

こういった「もしも本」は大好きである。極端な条件をつけることによって、より本質的な思考を楽しめるからだ。

お金の本質を考えたかった、「もしもお金が存在しなかったら?」を考えればいいし、
世界平和の本質を考えたかった、「世界がもし100人の村だったら?」を考えれば良いのである。

最初タイトルを見た時、なんとなく結論は予想できた。
「カラスってゴミとか荒らすし、黒くて怖いし嫌われがちだけど、実際いなくなったら生態系がガラッと変わって、めっちゃ困るんですよ!カラス結構大事なんですよ!」
という類のものだ。

そして目次を見てみると、

第一幕 生態系からカラスが消えたら

松原始『もしも世界からカラスが消えたら』

ほれみろ!!絶対そんな感じの結論じゃん!

結論が予想できてしまう本ほどつまらないものはない。とはいえ、どんなロジックで困ることになるのかを確認するためにサラッと読んでみることに。

と思った矢先、事態は思わぬ方向へ導かれる。

さて、さっそくだが、生態系からカラスが消えたら?を考えよう。
考えてみたのだが・・・残念ながら、そこまで壮大な物語にはならなそうである。というのも、カラスにしかできないことが、あまり思いつかないからだ。

松原始『もしも世界からカラスが消えたら』P33

なんだと!著者はカラス研究の第一人者であるからおそらく内容に間違いはなさそうだ。大して生態系には影響がないらしい。

ほんだら、いったいこの本で何を伝えたいのだ…と思わず方言が出てきてしまうほどにはこの本に、そしてカラスに興味が湧いてきた。

読み進めるとわかってくるのが、
カラスは本当になんでも食べるらしい。小さな虫から大きな虫まで、さらに果実や人間の食べた残骸、熊が食べた鮭の死骸、などなど。究極的には人間の死体であっても餌にする。

だからどこにでも現れる。

おっと。どこにでも現れると言えば、コンビニだ。

コンビニがなくなったら困るか?を考えてみよう。結論を急ぐまでもない。困るだろう。

ただ、"困る"程度ではないだろうか。野菜を買いたかったら、八百屋に行けばいいし、文房具が買いたかったら文房具に行けば良い。それぞの専門店があるので、ちょっと不便ではあるが、なんとかはなるだろう。

そう、コンビニという"なんでも屋"は"なんでも屋"だからこそなくなっても大きな影響はないのだ。

カラスも全く同じだと著者は言う。

カラスがいなくなっても、その役割を担える生物が、それぞれの場所で存在している。一時的に困ることがあっても、生態系システムが調整され、補完されるような生物が埋め合わせされるとのこと。

カラスがいなくなっても生態系に大して影響はないと言うことはつまり、自然界からするとカラスはいてもいなくてもどっちも良い存在なのだ。

なんと無慈悲なことだろうか。

自然はカラスに意味を与えなかった。

しかし考えてみれば、当たり前かもしれない。種の繁栄というのは「適者生存」の進化プロセスによって行われることはダーウィン以降通説だ。カラスがいなくなっても、全体のバランスを調整する機能が働くのは生態系というシステムが脆弱でないことを示す。

ここまででも十分面白い結論ではあるのだが、まだ終わらない。

第3幕では、「人間社会からカラスが消えたら」というタイトルから始まる。てっきり生態系のことばかり考えいたが、確かにカラスというのは様々な神話や作品に登場する。

「カラス アニメ」と脳内検索をかけると、真っ先に出てくるのが、「NARUTO -ナルト- 疾風伝」に出てくるイタチだ。

イタチは忍術でカラスを使う、ファンの中でも大人気キャラクターだ。

彼はどこか不気味だが、知的で、器用で、尊ささえある。それはまさにカラスのイメージとピッタリだ。

これがカラスじゃなくてスズメだったら?
そんな可愛いキャラクターじゃないことは自明だ。全く合わない。

これがカラスじゃなくてハトだったら?
平和な感じが否めない。イタチの持つダークな一面は表現できないだろう。

これがカラスじゃなくてワシだったら?
堂々としすぎている。イタチの持つ二面性やどこか掴め見ようない一面は表現できない。

イタチのキャラクターにマッチする動物を考えたとき、カラスを超えるものはいないだろう。

他にも最近だと「鬼滅の刃」「ポケモン」「猫の恩返し」など様々な作品に登場する。文学にも、神話にも登場する。神話では太陽の鳥というイメージがあったり、文学だとよく喋る鳥というイメージもある。鬼滅の刃でもよく喋るイメージだ。

そしてこのような不吉だが賢い、様々な一面を見せてくれる生き物は中々見当たらない。つまり代替ができない。カラスは人間文化にとっては欠かせない存在になっていないだろうか。

カラスの持つちょっとダークな、それでいて人知を超えた感じ、物知り、器用、喋る、といった特徴を全部備えるのは難しそうだ。

松原始『もしも世界からカラスが消えたら』P140

つまり、人はカラスに意味を与えたのだ。カラスという生物は、人類の文化に、文学に、エンタメにとって今や欠かせない存在である。仮にカラスが消えても文化は消えはしない。しかしカラスから受け取る情緒は失ってしまうだろう。

カラスがいなくても生きていける。でも、あの早朝の渋谷からカラスが消えたら、きっと、今ほどあの場所に哀愁を感じられないだろう。

自然と人の違いがあるとすれば、生に対して意味を与えることができるかどうかなのかもしれない。

カラスの雑学もついでに知れるのでぜひ読んでみてほしい。



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