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【エッセイ】ミニマリスト初心者

今頃になってミニマリストに興味を持ち始めた。

ミニマリストという言葉は数年前に話題になって、今でも緩やかにそのブームが続いているのかなと勝手に思っているので「今頃」と付けてみた。

彼らの存在はもちろん知っていて、何となく「少ない物で生きていく人達だよね」という認識をしていた。その上で自分には関係ないものだと思っていた。

でもそれはただの思い込みであり、ミニマリストの定義すらも誤っていたということに気付かされた。だから今、こうして文章にしているわけだ。

きっかけは、たまたま観たYouTubeの動画。
今まではミニマリストの動画には見向きもしなかったのだが、なぜかその時は妙に惹かれて軽い気持ちで観始めた。
しかし、その動画が終わる頃には“軽い”気持ちなど微塵もなく食い入るように観ており、動画が終わると同時に検索欄に「ミニマリスト」と入力して他の動画や書籍も見漁った。

どうやらミニマリストとは「少ない物で生きていく人」ではないらしい。

大切なものを強調するために、あえて・・・いらないものを削ぎ落とす人のことをミニマリストと定義するらしい。

また、「物」ではなく「もの」と表現したのは、削ぎ落とす対象が物質的な「物」に限らず、時間や人間関係など目に見えない「もの」も含まれているからだ。

彼らは物が少ないという事実に快楽を得ているのだろう、と思っていた私はとんでもない無知だったと知らしめられた。

でも、定義を改められたくらいでは目から鱗とはならない。
私がミニマリストの何に心を動かされ、こうして筆を取ったのかというと

自分の持っている物の価値は、自分の価値を表現するものではない

という考えにハッとさせられたからだ。

そんなの当たり前だろうと滑稽に思われるかもしれない。実際、客観的に聞くと自分でもそう思う。
しかし思い返してみると、そのような滑稽な生き方をしてきた気がしたのでハッとしたのだ。

人は誰しも大小あれど他人の目が気になるものだと思う。私も例外ではない。
その中でも身だしなみは人の目を強く意識するものであり、身につける物というのは「自分の価値と物の価値」を混同しやすい物のように感じる。

私自身、もともとはユニクロ等のコスパ重視の服で生きてきたが「もう二十代後半だしちゃんとした服を着ないとな」と思い、今までよりも少し高価で大人な雰囲気の服やバッグを最近購入した。(全然ハイブランドではないしユニクロは依然最強だと思っている)

また、車の購入を検討したり、いつかはマンションを購入して住みたいなども最近よく考えていたのだが、これら全ての根本に共通していたのが「他人から良く見られたい」「自分には経済力があると見せつけたい」という気持ちだ。(もちろん大した経済力はない)
そして、それらを自分の所有する「物」で示そうとしていた。

こういった思いが自分の中にあったからこそ、ミニマリストの考えが深く刺さったのだと思う。

さらに深ぼると、自分の価値を物の価値で表現しようとした場合、無限にお金が必要になる。
上には上がいるし、物には必ず慣れや飽きがくるからだ。

そうなるとひたすらお金の為に働いたり、大金を手にするために成功者を目指したりすることになるだろう。
実際、私もそうだった。(今もまだそうかもしれないが)

「せっかくの人生なのだからいっぱい稼げるようになってお金に困らない生活がしたい」無垢にそう思って地道に頑張ってきたし、これからもそうするつもりだった。
ミニマリストの考え方は、そんな私に別の道を示してくれたような気がした。

本当に大切なものだけを選び取り、必要最低限の生活で最大級の幸福を感じる

家の中には大切なものだけが最小限そろっており、自分にとっての最低限の生活水準が分かっているので無駄にお金の不安を抱えて必死に働く必要もなくなる。
そうやって空間、時間、心に余白を作ってあげることで、今まで見えなかった自分の大切な気持ちが浮き彫りになってくるのかもしれない。

正直まだ自分の中で消化しきれていないので、ふわふわした文章になってしまったかもしれない。

でも実際に物を減らして部屋を綺麗にすればすごく気持ち良いし、毎朝きれいな部屋で目覚めると幸せな気分になってついつい掃除機をかけてしまう、という感じでミニマリズムのメリットは存分に感じている。

飽き性だからすぐどうでもよくなるかもしれないけど、今後も続けながら自分の心境の変化を探っていきたい。

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