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【エッセイ】ゲームセンターと露天風呂

先日、親・祖父母孝行を兼ねて家族で旅行をした。

旅行先は、自分が小中学生の頃に家族と何度か訪れた場所で、いわゆる思い出の場所だった。

祖父母は足腰が悪いので、観光はせずホテルでのんびり過ごす予定を立てていた。
そのホテルも家族で何度も泊まったところで、今回は10年ぶりの訪問だった。

ホテルに着いて手続きを済ませ、部屋に入ると窓一面にオーションビューが広がる。
あの時見た景色が、今も変わらずそこにあった。

ただ、部屋の雰囲気や設備等は流石に年季が入っており、10年前と比べると少し寂れた印象を受けた。

部屋で小一時間休んだ後、夕食まで時間があったのでホテル内を探索することにした。

そこまで大きくはないホテル内を「あ〜、こんなのあったな」とか「え、こんなのあったっけ?」と思い出を懐古しながら歩き、とある場所にたどり着いた。
それはゲームセンターだ。

そのホテルには小さなゲームセンターがあり、子供の頃、ここに来てとてもはしゃいでいたのを覚えている。
あれから10年たった今でも、そのワクワクした気持ちが残っており、心のどこかでこのゲームセンターを楽しみにしていたのだ。

ノスタルジックな気持ちを連れて中を見て回る。
そのゲームセンターは本当に小さくて、クレーンゲームが数台と、レースゲームが2台、スロットマシンが4台といった感じだった。

ものの2分くらいでざっと見終わり、抱いた感想は「こんなもんか...」だった。

思い出なので美化されているだろうし、そもそも今現在ゲームセンターというものに全く興味を持っていないので、当然の感想だったかもしれない。
でも、なんだか少し寂しい気持ちになった。

その後、夕食を済ませ、大浴場に行くことにした。

日曜日の夜だったので、人はまばらでほとんど貸し切り状態だった。

身体を洗いながら今日の出来事をふり返る。
心の中で感じながらもスルーしていた「なんだかパッとしない旅行だったな」という思いが言語化される。
それを打ち消すように「家族は楽しんでくれてるみたいだし、今回はそれが目的だから。」と自分に言い聞かせる。

「まあ、ゆっくり露天風呂にでも浸かるか。」

先程まで露天風呂にいた二人組は出て行き、祖父はまだ身体を洗っていたので自分一人で露天風呂へと向かった。

6月の夜風は心地よいが、濡れた身体には少し寒い。
早々に湯船に浸かろうと身体を沈めようとするが、なかなか温度が高い。

息を止めながらゆっくりと足を曲げ、肩まで浸かったところで、溜めていた息を「ふ〜」とも「あ〜」とも取れる音とともに吐き出す。
全身の毛穴が一瞬引き締まり次第に緩んでいくのを感じながら、浴槽の縁に身体をあずける。

夜空を見上げるとぼんやりと星が見える。
続いて耳に意識を向けると、波が砂をさらう音、鈴虫がささやく声、湯船が浴槽の外へ追いやられ滴る音が聞こえる。

気がつくと、一人ニヤついていた。

部屋の年季がどうだの、ゲームセンターが期待外れだの、そんなことはどうでもよくなっていた。
「これが今回の旅行のハイライトだ」と確信した。

ふと正面に目をやると、吸い込まれそうなほど漆黒な海が広がっており、水平線の辺りには大小も色も様々な光が点在していた。
それをぼーっと眺めていると、色々な考えが浮かんできた。

10年前にはあんなに楽しかったゲームセンターも、今ではほとんど興味を失っている。
代わりに、10年前の記憶には全く無いこの露天風呂でこんなにも感動している。

なんだか、順調に歳を重ねてるなと実感した。
でも、自分と同年代の人、もしくは年上の人でもゲームセンターでワクワクし、露天風呂には興味も示さない人は必ずいる。
ただ、歳を重ねることで皆同じ思考になるわけではないはずだ。

その人が「何を体験し」「どう感じたか」「何を考えたか」という繰り返しの中で、価値観が形成されることで違いが生まれるのだろう。

そんな価値観について思うことがある。

「自分はこんな価値観を持つ人間です」と言える(認識できている)ことは、すごいことだし、ブレない自分を持つというメンタリティ的な面でも良いと思う。
でも、たまに価値観が先行してしまい、体験や、そこから得られる心動くチャンス(「楽しい」や「美しい」と感じる機会)を逃しているのではないかと、自分にも他人にも思うことがある。

心動いた結果、価値観が形成されるのが健全なあり方だと思っているので、あまりにも「自分の価値観」に囚われるのはもったいない気がする。
自分を決めつけ過ぎず、色々な経験をし、色々なものに触れ、心の機微を敏感に感じ取れるようになりたい。

もしかしたら、今回のホテルの部屋を見た時、ゲームセンターを見て回った時、心のどこかでは別の感情を抱いていたかもしれない。
今となってはもう、印象が着いてしまっているのでその時の感情は戻ってこないし、思い出して上書きするものでもない。

ただ、今この瞬間。露天風呂に浸かりながら自然に囲まれて、一人物思いに耽る時間は間違いなく心動いてる。


[あとがき]

朝イチの露天風呂も、一味違って最高でした。

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