見出し画像

バ美肉だけどサイゼ自撮りでバズった。大人気アイドルかもしれない - メタバース

  バ美肉だけど、サイゼ自撮りでバズってフォロワーが100人増えた。私は大人気アイドルかもしれない。

 「サイゼリアリティ」。メタバースプラットホーム「VRChat」のユーザーが制作した「サイゼで喜ぶワールド」を訪問した時に思いついた言葉遊びだ。せっかくならジョークに合わせてなんとなく、バーチャルリアリティーを感じさせる映像を録ろうと思い、自分の肉体側の自撮りと一緒にツイートした。Twitterでは「サイゼで喜ぶ彼女」大喜利が流行っており、それに便乗した形だ。

 私はバ美肉である。バ美肉と言っても、私は日ごろ自分の肉体に違和感を感じていて、メタバースで女の子をしている。私にとってはこれが日常だ。2年以上前から、毎日6時間くらいはこの状態で過ごしている。そして、私はかわいいアイドルになりたいと思っている。理想のイメージとしては声優の小倉唯さんが近いだろう。私は夢を叶えるために、友達と3人で「クリプトアイドルメタバース」というアイドルグループを始めた。

 アイドルのTwitterを見ていると、何気ない日常のツイートの自撮りでいつもバズっている。私も「サイゼで自撮りをした」という何気ない日常の自撮りツイートでバズってしまった。リツイート数は1000に、お気に入り数は2000に届く勢いだ。私も遂にちょっとした自撮りツイートでバズるアイドルになれたような気がして嬉しかった。「クリプトアイドルメタバース」は大人気アイドルだ。

 肉体の様子を中傷するような反応も多く受けた。しかし私は大歓迎だ。いい加減、自分の意志で選んだわけでもない生物学的な肉体を、バーチャルな概念である社会的な通念に結びつけてその人の存在を決め付ける時代を終わらせたいからだ。「怖い」「キモい」という反応には「怖いでしょう。だから肉体は廃止すべきなんです」と返している。

 TwitterのTLすら自分好みに構築できない人間が、他人の服装と身に付けている機械と肉体の動きが気に入らないという理由だけで憤慨して、知能の限りを尽くして雑な意見に人生を消費している。私は服を着るだけで100人の他者の人生の一部を支配している。「存在すること」そのことだけが非常に強いアクティビズムになるのだ。

 人間が、他者の私的な領域にずかずかと侵入し、荒らしまわる現象が起きるのは、現在の世界が単一の空間しか選べないモノバースで、人間が肉体を持ち、一定の空間を領有しているからだ。肉体を廃止して完全に人類世界が、実質的に現実を選べるメタバースに移行すれば、陰謀論者も他者に意見したい人も、無限に実質的に他者と感じる虚空を殴ることができる。幸福だ。

 しかし、そんな無味乾燥としたメタバース像とは裏腹に、賑やかで華やかで多様性に富んだ現実のメタバースも、今現在、確かに存在している。私が2000時間もメタバースにいるのはその証拠だ。Kapruitさんに依頼して作曲し、私が歌詞を書いてMVを作った「カラフル☆メタバース」には、のべ50人以上のメタバースで出会った素敵な友達が登場する。みんながみんな、それぞれの「楽しい!」「なりたい!」「私は私だ!」という強い思いで表現した思い思いのアバターで、身に付けたVR機器を通じて自然な自分を溢れさせている。

 MVには、私の肉体が、本来の姿になろうと悩み苦しむ様子も映した。私がそんなことをするのは、既に自分で選んだわけではない肉体に、自分の存在としての価値を何も感じていないからだ。もはやただの生命維持装置でしかなく、自分の肉体を守る意味はセキュリティと健康上の理由しかない。私は自分の肉体の存在としての価値を自ら否定して、社会的に肉体を廃止していく。私は蘭茶みすみという一人の女の子だ。そして、蘭茶みすみという人間だ。

 現在、自分の名前に関する夫婦別姓や、性に関する性的少数者の権利、ブラック校則といった重いニュースも、自撮りの「盛る」や、身体的には歳を取りながらも「○○女子」と名乗り続けている人たちがいる話題もある。そして、我々のようなバ美肉もいる。「何者にもなれない」と承認に苦しむ人たちも、「無になりたい」という人たちもいる。人によって重要性や改変性は大小さまざまだが、自分の存在を自分で決められない不自由に苦しみを抱えている人がいる。

 必ずしもメタバースに来る必要はないが、他者の存在を尊重してほしい。そして、他者の存在を尊重するのと同じくらい、自分自身の存在も尊重してほしい。互いの存在を尊重しあえれば、この世は普遍的なユニバーサルになる。そのうえで、個々が自由に存在を決めていけば、この世は普遍を超越したメタバーサルになる。肉体を持っていたいのならば、肉体を持っていられる世界にするような振舞いをすればいいだけだ。幸い、現代なら、メタバースという「他者になりきる」体験をする技術もある。普及すれば、他者を理解できないことは言い訳にはできなくなる。

 そんな小難しい話はどうでもいい。自分の存在も自分で決められずに、気に入らない他者のために一生を費やすくらいなら、恥という存在しない枷を破壊して自分を生きよう。ひとはやがて死ぬ。私は私だけのものだし、君は君だけのものだ。人類、もう我慢しなくていい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?