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バ美肉が「女の子の日」- VRとリアルで生理を再現 - 「性を越え」それぞれの苦しみ理解の契機に

 生理用ショーツとナプキンを着用しながらVRでバ美肉(VTuberのようにアバターなどで美少女の姿になること)した。ネイティブ女性の月経を少しでもリアルに体験するため、法定パートナーの体験談を参考に状況を再現し、経血の着いた使用済みナプキンも交換。「性」が流動化するであろうVR・アバター社会の普及の過程で、「女の子として存在するとは?」を考える狙い。ネイティブな性への尊重を忘れないように、肉体的、文化的性への理解の契機になるとうれしい。

 生理(正式には月経)は、妊娠しなかった際に胎児を保護する子宮内膜が剥がれ落ち、体外に血液と共に剥がれ落ちる現象。卵巣の卵子と子宮内膜が成長し(卵胞期)、卵管から子宮に向かい(排卵期)、妊娠の準備が整った(黄体期)のちに訪れる。生理周期はおよそ1カ月で、個人差はあるが、強い生理痛を伴う場合がある。経血を吸収させるために、長さ20~40cmの生理用ナプキンをショーツに挟む。ナプキンには種類があり、昼用と夜用、出血の量や運動量によって使い分ける。トイレに行くたびに交換する必要がある。
(エリエール https://www.elleair.jp/elis/elis_girls_clinic/basic/basic3)

 生理3~10日前から、肉体・精神ともに不快感や倦怠感、頭痛、腹痛やむくみなど、さまざまな不調が生じる月経前症候群(PMS)になる場合がある。女性ホルモンの変動が原因だと考えられており、年代や周期により症状も変化する。
(小林製薬 https://www.kobayashi.co.jp/brand/inochinohaha/sp/white/white_pms.html)

 法定パートナーは生理前になると「一日中寝てしまう」ほど体調を崩してしまう。生理痛も激しいといい、冷えなどで特に酷くなる。私が見てもガタガタ震えるほど痛がっていて心配になるほどで、ナプキンを捨てる時に血の量を見て驚くことがある。

 「性を越える」と言われる現在のバ美肉でも、一般に普及している技術で再現できるのはアバターと音声による視聴覚のみ。その性を有する多くの人が経験する肉体的・社会的経験の再確認には工夫が必要だ。自らの存在をより本質的に自己決定し、「性の消費」としないために、自分で選んだ性にまつわる共通の経験を体験する必要性を感じた。特にネイティブ女性の多くが経験しながらも、ネイティブ男性の理解が進まない「月経」を主観的に追体験することは大切だ。主観をデザインできるVRには、他者の経験の再現による相互理解の可能性があるため、リアル側の状態と組み合わせて再現を図った。

 現代の技術で「痛み」を再現することは難しいため、私が体験することはあくまで「経血の処理の過程」だけだ。実際の倦怠感を再現するため、徹夜した次の日を選んで行った。法定パートナーから生理用ショーツを借りてナプキンを着ける。VR内で運動するため、長めで、固定する羽根つきのタイプを使用した。

 実際に着用すると、股間のあたりにカサカサとした塊がある違和感を覚える。座ったり動いたりすると特に気になり、特に立っているときは落ちないか不安になる。実際は経血が付着するため、さらに不快感があるだろうと想像しながらVR機器を着用し、「バ美肉」をする。

 トイレの際は交換しないといけないので、あまり頻繁には行きたくはない。しかし、声を出すのには水が必要で、飲まないと喉を壊す可能性がある。飲む量を慎重に考えても、1時間ほどでトイレに行きたくなる。実際に行くと、すぐにパンツを下ろせないので気軽にできない。再びショーツにナプキンを取り付け、慎重に着用する。ショーツもナプキンを固定できるようにしっかりと作られているため、暑いとすぐに蒸れてしまう。

 VR内では、蘭茶みすみという女の子として、いつもの友達の女の子たちと遊んでいる。しかし、あまり自由に動き回ることができない。いつものように話そうとしても、何となく隠し事があるようで、誰にも言い出せない恥ずかしさや怖さ、孤独感を感じる。この事実が知られたら、面白がられて恥ずかしい思いをするのでは?という恐怖感も芽生えてきた。

 身体の不調を治すために寝ようとするものの、やはりトイレの不安や蒸れの不快感、物体がある違和感がある。早く寝ないとと思いながらもなかなか寝付けない。頭痛や吐き気も出てくる。めまいに負けて寝たものの、結局3時間しか眠れなかった。

 寝不足の頭で考える。初めての生理。これからずっと、腰の当たりを柔らかいもやっとしたものにきつく縛られ、ガラスの檻のような不自由と向き合って生きていかなければならないのかと憂鬱な気分になった。頭の中はぼやっとしてるし倦怠感もある。痛みこそ再現できないものの、熱暴走してシステムダウンをしてしまった肉体を無理矢理動かしている苦しみが、1年のうち累計3ヶ月も続くのかと考えると最悪だ。

 少なくないネイティブ女性が、この不快感と大量の「やらなければならないこと」の中で、家事や仕事、育児、介護を強いられていることは知識としては知っていた。しかし、実際に主観的な体験として再確認をしてみると、「選択肢がある」というだけで「平等」としていいのだろうか?という疑問が湧く。心身ともに健康なネイティブ男性が普通に仕事をする間、生理中のネイティブ女性が同じ仕事をしようとすると、この不調に耐えながら、トイレや出血量を慎重に計算する必要がある。肉体維持に関わるコストが両者では全く違う。

 ネイティブ女性だけではない。障がい者や持病がある人だって肉体維持に関わるコストが高い。一見健康に見える人ですら、莫大なコストを払っているかもしれない。人間によって肉体を維持するために必要なリソースがそれぞれ違い、それによって「存在を維持する」難易度が全く異なってくる。これは経済的・文化的資本の有無からも関係してくるだろう。発達障がいのある私も、仕事中に「しっかりしている」ことには莫大なリソースが必要だ。単に選択肢を用意するだけでなく、いかにこのコスト差を減らしていくかを、一人一人ができることとして考えていきたいと思う。「性を越える」という設計図はある。あとはどうやって橋を作るかだ。

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