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元記者、授乳ママになる!無理せず救済、人それぞれ-VRChat

 人間には、出来ることと出来ないこと、出来ないこともないけどすごく疲れることがある。「いざ、人類を救済しよう!」と思い立っても、やり方が自分に合わなければ頓挫する。特にストラテラを飲む人間の場合、合うこと、合わないことの差が激しい。「なぜ救済できないんだ!」と世界を逆恨みして闇落ちするくらいなら「人類救済は楽に楽しく」と割りきってしまった方がいい。

 死にそうでどこまでも無理して苦しんでいる人間に助けられるよりも、生き生きして余裕そうで、自分のキャパシティを公開している人間に助けられる方が安心感がある。救われる側には、罪悪感や後ろめたさではなく、楽しさを記憶しておいてほしいし、自分も楽しい方が、みんな幸せなのである。

 「人類を救済したい!」。就職活動が迫る中、唐突に思い立った。頭が不自由な自分は、やりたいことができない、何者にもなれない、何がやりたいかわからない-そんな苦しみを抱えていた。「何がやりたいかわからないなら、いっそのこと同じ苦しみの人間を救済してしまおう。仮に自分だけが幸福になったところで、苦しむ人間が他にいるなら何の意味もない」。すべての苦しみが人類救済に収束した。

 私は人類救済のために、二通りの方法を考えた。一つ目は、誰も苦しまない全く新しい理想郷を創作し、実社会を置き換える硬派な個人戦だ。「人間の苦しみは他者との認識の齟齬と衝突、そして社会システムの中で生まれる。人間が苦しまずに生きられるようにするために、肉体を廃止して意図しない他者との衝突が無くし、システムによる自由の侵害が起きない世界を作ろう」と考えた。

 全く新しい世界を作るためには、現実世界の設定を一旦解体して再構築する必要があった。当然、既存の社会とは衝突が起きる。現世との最終決戦を一人でこなすのは大変な労力と気力が必要で、当然のごとく頓挫した。

 二つ目は実社会のシステムを利用し、実現可能な手段で少しずつ進める軟派な団体戦だ。人類を救済できる可能性がある組織の一員として労働する。「自分の苦しみは、自分の思いを上手く伝えられないことだ。人間に肉体がある以上、一つの世界で暮らさざるをえない。だったら、人の思いをみんなに伝えて相互理解を進める仕事、記者がいいんじゃないか」と考えた。

 報道機関に入るのは難しい。根本的に他者とコミュニケーションを取る仕事だ。面接は何段階もあり、会話に重大なハンディを抱える私が就職するまでには困難を極めた。就職してからも、頭が不自由なことに発するさまざまなミスやコミュニケーション能力、学習能力の低さから、思うような仕事ができずにメンタルを病み、記者をやめることになった。必死にもがいて沈んでいった日々だった。

 長い苦しみの沼から放り出され、放心状態だった頃、VRの世界に授乳という文化があることを知る。発達に障がいがある頭で必死に抽象的な社会に対峙することに疲弊した私は、「これならば直接的な手段で救済できるのではないか!」と思った。授乳ならば、私の能力でも、人間が苦しみを知る前の状態に戻せるかもしれない。「何者かにならなければいけない」という意識は、社会が労働を強制するために作り出している概念で、本当は何者にもならなくていいのではないか。それならば、人類全員赤ちゃんになればいい。取材で「居場所づくり」について追っていた経験も、授乳カフェという「空間と時間を越えた、ありのままの自分を認めてもらえる居場所」に私を導いた。多様性のあるゆるやかなつながりと安心できる居場所が、人間同士の共生につながる。

 人間には、できることと出来ないことがある。人類救済は大変な仕事だが、長く続けるためにはできる方法でゆっくりと愛の種を撒いていけばいい。一気に救済できる人は一気に救済すればいいし、時間をかけてちょっとだけ救済できる人はちょっとずつ救済すればいいのだ。奉仕に自己犠牲の精神があるかぎり、誰も奉仕はしたくないだろう。大切なのは、自分が行う人類救済に、自分も含まれていること、そして続けたくなる楽しさがあること。私もあなたも人類。救済していきましょう。

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