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羊角の蛇神像 私の中学生日記⑯

アトラクション

「Lくん、顔どないしたん!」

翌日、本館へ行くと、他の寮の子がでこぼこになった私の顔を見て驚きの声をあげた。事情をたずねてくれたり、いたわってくれる友だちもいた。
Aくんと同じ学校から来た2年生がふたりいて、彼らはすぐに状況を察したようだった。

私は脱力した笑い顔で曖昧な返事をするだけだった。

この頃の記憶を辿ると、遊園地のアトラクションのように非日常的ないざこざだけが思い出される。例えば前夜の鍋事件のような。
何か、ほっとするような出来事や、ラッキーなことは無かっただろうか。
無かったのだ。たぶん。

熱々の出汁昆布を手に乗せられた挙句、ドレッシングの瓶でぼこぼこにされた私には、何かしらの素敵なサプライズがあっても良さそうだった。
しかし、傷ついた鳥は冷たい雨に体力を奪われて、獣に命を奪られてしまう。それが野生の真理であり、私の暮らしはもはや野生のそれだった。

そうして事件は畳み掛ける。

私がジェットコースターの設計者なら、山場をうまく隠しながら、終わりの見えない恐怖と不安で利用者を絶望の空へ投げ放つだろう。
私たちの神様らしき人もまた、そういう意地悪なソシオパスだったのだ。

死線

一方で、30年経った今だからこそ思い至ったある推測について話そう。

Aくんに殺意は無かったということ。

その時も私はそう思った。
生物の端くれである私たちにも、他者の殺意を感じ取る機能が、ある程度は備わっているだろう。
幼い日に首を絞められ、殺されそうになった私だけの特別な感覚でも無さそうだ。

根拠はまだある。
加害者が特定されにくい外でのトラブルならまだしも、保護観察中の施設で他の子どもを殺したり重傷を負わせるようなことはしないと思う。

あの時、Aくんはやはり、テーブルやキッチンのワークトップに瓶を打ちつけたのだ。
その目的は、割れた瓶の切先を凶器とするためではない。
大きな音で、寮長先生を呼ぶためだったのではないか。

夕食は、私たち寮生だけで食べることが基本だったように思う。どういう時に先生と一緒に食べていたのか、忘れてしまった。
とにかく、鍋の時に先生は、先生家族の居住スペースですごしていた。
ある程度大きな音がしなければ、先生が事件に気づくことは無かっただろう。

私のようなまじめ枠の下級生とは喧嘩らしい喧嘩が成り立たず、一方的に殴り続ければ、やはり私が重傷を負うなどのリスクがあったと思う。
リスクと言うのは保護観察中の身である彼にとっての。

他の3年生たちの目もあり、メンツのようなものがある。
お湯が跳ねたのが先か、出汁昆布を乗せたのが先か、私が彼を殴ったのが先か、そんなことはわからない。
ただ、これ以上殴れば分が悪くなるというラインを彼なりに見極めて、自らゴングを鳴らしたのでなかったのではないか。

そんな風に考えるのだった。

チョウチンアンコウ

時間軸が定まらないが、その頃の、ある夜のこと。

深い眠りについた私を、起こすものがあった。
Bくんだった。

体を揺すられ怪訝そうな私に顔を近づけて、ひそひそ声で彼はこんなことを言った。うきうきと楽しそうな表情が薄闇の中で不気味だった。

「3室に女子が来てる!Kもおるぞ!」

3室とは、我々の居室の最も奥の、先生家族のスペースから遠い部屋のことだ。Kさんとは、私が好きな3年生だった。
好きと言っても、顔が少しタイプとか、比較的気になる異性だとか、そういう軽い好意のことである。

女子寮は、坂の下の本館よりも更に奥にある。
思春期の男女を物理的に遠ざけるためであろう。中学生の男女の寮の間には小学生男子寮があったと思う。ちなみに小学生の女子は学園にいない。
中学生の男女比は、概ね4対1で圧倒的に男子が多かった。

女子が夜中に男子の寮へ来るとはただごとではなかった。
何か、ドキドキするようなイベントが発生しそうではあった。
しかし、私はBくんの誘いに乗らなかった。

疲れていた。疲れているため、できるだけ長く眠りたかった。
そして、何よりも、不穏な気配を感じていた。
私はきっぱりと誘いを断り、布団に潜り込んだ。

私のこの時の判断は間違っていなかったと、あとになって知った。
おそらくこの時、私は彼らのおもちゃになることを回避したのだと思う。
彼らの真夜中のブラッドスポーツの。

ブラッドスポーツ

ブラッドスポーツという言葉は日本ではあまり知られていないだろう。
しかし、その例を知れば、それが何を意味するものかは簡単に理解できるだろう。

有名なものでは、闘牛、闘犬、闘鶏、闘魚など。
あるいはロデオなども含まれる。
人と動物、もしくは動物同士を戦わせて賭けをしたり、観て楽しむことを総じてブラッドスポーツ(Blood Sports)と呼ぶ。
ブラッドスポーツをWikipediaで調べると、人間がいかに残酷な生き物かを垣間見ることができる。

ガチョウ引き、鶏投げ、狐つぶし。
これらはヨーロッパの紳士淑女のたしなみだった。
日本も負けてはいない。
犬追物にハブ対マングースなど。

それはある日の夕方の掃除の時間だったと思う。
Bくんに招かれて3室に行くと、他の3年生とWくんがいた。
どんな風に彼らが囃し立て、どんな風に私が応じたのかはわからない。

これから始まるブラッドスポーツの、ちいさな闘技場に私とWくんは立たされていた。
なぜか、逃げることができなかった。
ろくに喧嘩などしたことが無い私だった。
怖くて仕方が無かったはずだが、その時私が笑っていたことを不思議に覚えている。

けしかけられたWくんは、恐ろしい3年生にやられるよりはずっと気が楽だったかも知れない。
彼もまた笑っていた。

かくして、運命によって再び巡り合った私たちの悲しい決闘が始まった。
互いに、憎しみなど無いはずだった。
少なくとも私には。

地元では喧嘩をすることもあっただろう不良少年の3年生たちからすれば、私たちの喧嘩など、子どものままごとのようなものだと高を括っていたと思う。

しかし、その結果は彼らの予想とも違う、凄惨なものだった。

ダンスマカブル

キャットファイトでももう少し見応えがあるだろうか。
喧嘩慣れしていない私たちは、息を乱して、相手の手を払ったり、服を掴んだりしたと思う。
畳の上だったので滑って尻もちをついたかも知れない。
Wくんは私よりも体が大きかったので、マウントポジションを取られたら終わりだ。
体重の乗ったパンチを喰らっても、意識を失うかも知れない。
怖かった。

気がつくと私はWくんの腕に噛みついていた。
私は幼い頃、我を失うと友だちやクラスの女子を噛む悪いクセがあった。
中学生になって、喧嘩の相手に噛みつくなんて、ひどく無様だ。
しかし、喧嘩のやり方など私は知らない。
ドッヂボールでバトルフィールドの戦士たちの的だった私は、球技でさえ、相手からヒットを取るとか、効果的に体力を奪うとかの戦略とは無縁だった。
捕まったらやられる。
倒れたらやられる。
意識を失ったらやられる。
その恐怖から逃れようともがく私たちの影は、死の舞踏のようだったろう。

噛みつきを披露した私に、3年生たちはぞくぞくしただろうか。自由の無い施設の生活に潤いを与えただろうか。

時間にしてどの位経ったのかはわからない。
毎日、山道を含めた中距離を走り回る私たちだったが、極限の緊張状態の中、普段使わない筋肉を使う私たちは、倒れそうになっていたと思う。

先に体力の限界が来たのは私だった。
私は、左右の細い手首をWくんに掴まれてしまった。

死んだ。
終わった。

恐怖が私の心を毒蛇のように締めつける絶望の底で、天啓のように閃く選択肢が浮かんだ。
私は死にものぐるいでそれに従った。
それだけが、恐怖から逃れるただひとつの方法だった。

私は両手を掴まれたまま、無防備なWくんの顔面に向かって飛び上がった。


羊角の蛇神像⑰へ続く

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