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他人と比べずに自由を手に入れる方法

毎日の生活の中で、他人の生活を見ると、ときにモヤッとする気持ちが湧いてくることはないでしょうか?

SNSなどで友人知人、あるいは知らない人の生活を見る時、つい自分と比較していることがあります。
あの人はもっていて自分にはないこと、どうしてこの人ばかり・・・と自分を惨めに思ってみたり、嫉妬の思いが湧いてきたり、ストレスを感じてしまう。
さらにはこのような自分が嫌いになってしまい、自己嫌悪におちいるということもあると思うのです。

私自身もそのような弱さをもっていることに毎日気付かされています。
だから、私には聖書のみことばが毎日必要なのです。

今日は毎日のデボーションの前に少しづつ読んでいるトマス・アケンピスの「キリストにならいて」から教えられたことをご紹介したいと思います。

今日読んだのは第58章 ”高遠な事と神のひそかな審判はせんさくすべきでないこと” でした。

なぜこの人は捨てられて、あの人は大きな恵みを授かるのか、なぜ一人はかくも悩まされて、他の一人はかくも目立って引き立てられるのか、などと論ずることはやめなさい。これらの事は全く人の能力の及ばないことで、またどんな推論も議論も神の審判を究めつくすことはできない。

トマス・アケンピス きりすとにならいて

日々の生活の中で、どうしてあの人ばかり、どうして私はこうなのか?・・・・
と悩む時、

自分を神の前に置くなら本当の自由を得ます。

神の前にへりくだる時、ありのままの自分を見出すことができ、自由を得ます。

自分の心の中にある思いを正論でごまかすことなく、まずは良い思いも悪い思いも自分の内にあることを認める。

そのような自分のことをも知っていてくださる神の存在を知る。

この偉大な神の前に生きている自分を知る。

他人と比べることなく、ありのままの自分を見ていてくださる神。
そして、そのような自分のためにいのちを捨ててくださった救い主がいる。

神の前にへりくだる、ということは決して窮屈なことではありません。

自分を自由にすることです。



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