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2021/5/24 2021/5/7②

カツカツ。カツ。

「すいません、今日発のサンライズのB寝台って空きありますか?」
「どちらまでのご乗車ですか?」
「岡山です」

カツカツカツカツ。カツ。カツ。

「出雲も瀬戸もシングルなら空きがありますね。」
「じゃあシングルでお願いします」

カツカツ。カツ。カツカツ。

「出雲と瀬戸どちらかご希望はございますか?」
「どっちでも……できれば瀬戸で」

カツ。カツ。カツカツカツ。

ペン先が紙以外に触れて出る音というのは「苛つき」や「暇」と共にあることが多く、ネガティブなイメージを纏っていることが多いように思う。筆記用具が筆記時以外に音を発するのが異常事態なのである。しかし、この日この時聞こえてきた「ペン先が紙以外に触れて出る音」は、一切の無駄なしに生まれ出る音であったし、これから旅に出る自分にとってはどこか弾んだような、まるで自分が踏む予定のスキップを代わりにやってもらっている足音にも聞こえた。

みどりの窓口の係員から寝台券を受け取ると、どこかで時間を持て余すことを承知で改札へ向かった。
赤ペンとマルス端末が奏でる音に自分のスキップを代行してもらったような気持ちでいたけど、いざ寝台券を手にすると、その程度では足りない、と言わんばかりに歩き出したくなった。ペン先の当たる音ほどカツカツと足音は鳴らなかったけれども。

20時55分、東京駅。
サンライズ出雲・瀬戸の発車時刻は21時50分だ。1時間以上も早く着くなんて、いくらなんでも浮かれ過ぎである。
時短営業でほとんどシャッターを下ろしているグランスタ東京を徘徊し、様々な駅弁屋やコンビニを見て回った。
思ったより私服の人もいたのだが、やはりスーツ姿や「仕事帰りだろうなぁ」という人のほうが多かった。
いや、そもそも21時にどこかへ出かけるという人のほうがイレギュラーなのではあるが。

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( FUJIFILM X-Pro2 ƒ/5.6 1/30 Zeiss Touit32mm ISO 3200)

結局、あれだけ見て回った洒落た駅弁屋のつまみや土産物屋のクラフトビールには食指が伸びず、ホーム上のコンビニで普通の価格帯のビールとチューハイ、スナック菓子とおにぎりを買い込み、21時40分、サンライズ瀬戸に乗り込んだ。
サンライズ自体は今までも何回か利用したことはあるが、どれも大阪から乗り込んで東京に至る利用で、どれもノビノビ座席での雑魚寝一歩手前の利用だった。学生時代や無職時代ににライブからの帰りの足として、あまりコストを掛けずに使っていたので致し方のないことである。それでも夜行バスよりはずっと高いが、ラウンジで友達と「飲みながら帰る」体験は何物にも代えがたいものだった。
今回もコストを削るだけ削るならノビノビ座席でもよかったのだけど、せっかくならと初めて個室を利用することにした。
個室に足を踏み入れると、整然とたたまれたアメニティとふかふかのベッドの豪華さに若干引いてしまう。泥水からシャンパン、カップ麺からロブスター、雑魚寝から掛け布団にベッドである。まぁまぁ買い込んだなと思っていたコンビニ袋が途端に軽いものに思えてくる。すぐにベッドにリュックと袋を放り出した。
検札を経て、正式にこの個室で岡山駅まで過ごす権利が与えられた後も「柔らかくて足を放り出して寝れて、鍵もかかる個室に俺が乗っていいの!?」という罪悪感のようなものを強く感じた。その「罪悪感のようなもの」は、電車が動き出した瞬間「えっ、俺このまま岡山行っちゃっていいの!?」というより強いものに変質した。

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(CONTAX T2 / SuperiaPremium400)

新橋、品川と見知った駅をすっ飛ばし、多摩川を超え、横浜に向かう途中も罪悪感のようなものは心にまとわりついて離れなかった。2階席だから並走する見知った色の電車にたくさんの人がいるのがよく見える。そのお陰というべきか、そのせいというべきか、自分が「如何に非日常の世界にいるのか」というのがよく理解できた。というのも、2階の席のでっかい窓から平屋の通勤電車を覗こうとするとどうしても見下す形になってしまう。そこまで大したこともない自分が、こんな大勢の人を見下しても大丈夫なのだろうか。余計な心配だと言わんばかりに、通勤電車の中の人々はスマートフォンを見つめるなり寝るなりして、自分を見下す外からの視線に気づくことはなかった。

横浜駅に停まり、すこし停車時間をとった後、出発する。
もはや機械のように横浜を出た瞬間に缶ビールを開け、若干ぬるくなった中身を飲みこんだ。
そもそもこの「儀式」は、非日常を味わうためのものだったのだが、今や自分はその「非日常」に飲み込まれようとしている。この非日常、もっと楽しんでもいいんじゃないかな。自分に無理やり言い聞かせるようにしてビールを飲み、じゃがりこをつまむ。
じゃがりこのしょっぱさが増したと思ったら、口の中が沁み始めた。
じゃがりこで口の中を切っていた。
現実に引き戻される。この個室で知らない土地に向かっているのは、紛れもなく自分だった。

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(Apple iPhone 12 mini ƒ/1.6 1/60 4.2mm ISO400)

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