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襤褸襤褸


14時42分。先ほどからタイピングしては消してを繰り返している。
実は書きたいことが少なくなってきて困っているところだ。
きっと日常の些細なことをたくさん見逃しているのかもしれない。
毎日noteを更新す続ける人たちはすごいな。








気になる言葉について触れみようと思う。


”襤褸”。
これで”ぼろ”と読む。
画数が多い漢字はなんだか格好がいい。”軍艦””戦艦”みたい。

「ボロボロの布切れ」より
「襤褸襤褸の布切れ」の方がもっと崩れ落ちたような、
本当に襤褸襤褸のような感じがする。





「聞く言葉と見る言葉」は「伝え方と書き方」で人の感受性に大きく作用したりして、想像する音だったりが一人ひとりに不規則な感覚を与えている。

言葉、フォント、言い回し、イントネーション、日本語に限らず言語をいろいろな角度から見ることは、その人がなにを伝えたいのか、特にプレゼンテーションが上手い人は言葉の強弱を大事にしていたりするから、プレゼンターが発した言葉は「力」を帯びていて、それを肌で体験することによって、想像力をグッと高めてくれる。僕はそれを面白いと感じる。活字に触れる(本を読んだり)習慣をつくることができて本当によかったと思う。


「趣味は読書です」と言えるほど読書家ではない。正直、いまの僕の中では月に5冊本を読むことができたら、それは上出来と言えるレベルである。
たまに、環境のせいにして読まない言い訳を作っていたりとダサいこともしてしまうが、少しだけ変わったことがある。それは「言葉」を敏感に聞こうとしている自分自身がいることだ。人が発する言葉が気になってはたまにメモをするようになった。

趣味でお気に入りのフィギュアを収集し、ガラスケースに飾って眺めている人のように、僕は、飲みニケーションの場やお客様との会話、よく行く古本屋、よく行くBar、よく通る道。そこでたまたま出会った人たちの言葉に耳を傾けて「おっ!気になる言葉だ…」「語呂がいい…」など面白そうだなと思った言葉をiphoneのメモ機能に収集している。まだ初めて間もないので、一覧できるほどの内容ではないが、もう趣味の域に達してしまいそうなほど「言葉」という魅力に惹かれている。その場でメモをしていると明らかに気持ち悪い人(すでにやってることが気持ち悪い人)だから、お店を出てトボトボ歩く道中などでコソッとメモを開いている(結局それも気持ち悪い)。


あまりこんなことを書いてしまうと、僕と話すときに身構えてしまうかもしれないが、気にせず接してほしい。笑


この気持ち悪いと思われそうな趣味を始めたきっかけは、瀬戸内海を見たときにふと思ったことだった。”この海に感動して涙を流したあの人の気持ち、もしくはその姿を見た僕の気持ち、そういった具体的な言葉に切り取ることが難しい感覚”っていうのがあってムズムズしてしまうことがあった。

そのムズムズ感は、もしかしたら時間が経つと消えてなくなる感覚に変わるかもしれない。そんな時に「あの時に感じた風景は〇〇だった」と、言葉で表現したいときに表すことができる「自分の言葉」が常にあったらいいのになって「言葉」を知ろうとするたびに思う。

もちろん、「言葉では表現できない」からいいのだ。という”できない”表現もまた味わい深い感覚であるからそれもそれでいい。このブログの着地が瞑想しきってしまったので、今回は一旦この辺にしておこう。

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