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第一章 物事 2〈連関〉

 生活上のさまざまな〈事〉は、はらばらにあるのではなく、さまざまな関係性を持っている、と考えられている。そして、なかでも、とくに[ある〈事〉にある他の〈事〉が条件となる]という論理的関係性は、生活において〈事〉を理解し対処するのに重要なものとなっている。このような[条件と帰結の論理的関係]を〈連関〉と呼ぶ。ただし、〈連関〉は、条件と帰結の論理的関係にすぎず、前者は後者の必要条件ではあっても、充分条件ではない。したがって、条件から帰結への展開には、実際にはなんらかの別の動力が働かなければならない。けれども、一部には、何によるのかわからないが、それこそ自然に、その条件が成立するとやがてその帰結も成立する連関もある。このような連関を「自然連関」と呼ぼう。「自然連関」において、その条件である物事は「原因」と、その帰結である物事は「結果」と、そして、何であるかわからない自然の展開の動力は「因果」と呼ばれる。また、一部には、自然には実現しないけれども、我々が実現する連関、それも、帰結行為および行為主体に価値が負課されているものがある。そのような連関を「規範」と呼ぶ。

 〈連関〉においては、ある帰結に対して、いずれかの条件が選択的に必要条件であるにすぎないこともある。つまり、ある条件が成立していなくても、他のある条件が成立しているならば、その帰結が成立しうるかもしれない。

 ここで言う〈連関〉は、〈事〉と〈事〉の断片的な関係性である。その関係性は、条件となる〈事〉にも、帰結となる〈事〉にも共通に意味として含まれている。[意味として含まれている]ということは、厳密に言えば、べつに[実在的水準において、その〈物事〉に物理的になにかが存在している]ということではなく、むしろ[規範的水準において、我々がその〈物事〉を条件として、ある他の〈物事〉を「意味」として認識なしに理解する]ということである。そして、[意味を理解する]とは、[その意味である〈物事〉を条件とする規範を適用することができる]ということである。したがって、〈連関〉とは、[ある〈事〉が他のある〈事〉を意味として理解させる]ということである。もっとも、それは、我々がかってに理解しているだけであって、その〈事〉が我々に理解させようと働きかけてくるわけではない。

 連関が論理的関係であり、その条件が充分条件ではなく、必要条件にすぎないのは、このように、それが本質的に実在的水準の関係ではなく、規範的水準の関係、つまり、我々の主観的かつ主体的な理解対処の問題だからである。

 その理解は、ふつうには、その〈事〉と他のある〈事〉との間に実在的水準の自然的な関係があって、それゆえに我々が理解している、ということになっている。しかし、実際は、実在的水準の自然的な関係がないことでも、我々は、意味として理解していることは多い。直接経験を除いては、我々は、[そのように現実が関係している]ということではなく、[他者が[そのように現実が関係している]と理解している]ということのみを根拠に理解する。そこでは、本来は、[他者が[そのように現実が関係している]と理解している]ということを理解すべきなのだが、しかし、《理解の志向縮約律》によって、自分も[そのように現実が関係している]と理解してしまう。そこでは、本物がないままに、模倣が模倣されていく。このような[誰もが関係しているとするがゆえに関係している]という循環補証的な関係の仕方は、通常の「実在的関係」に対して、「協証的関係」と呼ぶ。それは、実際は[関係していない]のだが、[関係しているということになっている]。

 しばしば「〈事〉が法則に従う」と言われるが、しかし、正確には〈事〉は法則に従っているのではなく、その〈事〉においても法則が妥当しているということにすぎない。「従う」というような修辞的表現は、あたかも[法則がそれ自体で存在し、〈事〉に対する強制力を持つ]かのような錯覚と誤解を与える。

 〈連関〉、すなわち、意味における〈事〉と〈事〉の関係性において、ある〈事〉の意味が、[すでに他のある〈事〉が成立してしまっている]ということであれば、その〈事〉は、〈連関〉の帰結であり、その意味である〈事〉は、〈連関〉の条件である。また、ある〈事〉の意味が、[いまや他のある〈事〉が成立するかもしれない]ということであれば、その〈事〉は、〈連関〉の条件であり、その意味である〈事〉は、〈連関〉の帰結である。

 後述するように、[なってしまっている]ということは、[〈自己〉において、不能的時制様相として、[当事しているし、いまも当事しないことができない]という〈真実性〉がその〈事〉に付与される]ということである。また、同様に、[なるかもしれない]ということは、[〈自己〉において、不能的時制様相として、[当事していないが、いまや当事しないことができない]という〈進行性〉がその〈事〉に付与される]ということである。

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