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ちょっとだけ前向きな言葉(179・180)

●「自分らしく」と言いながら生きている者に限って自分勝手に生きている。その言葉は人様が決める事、自分で言う言葉ではない。

 人々はしばしば「自分らしく生きる」と言いながら、実際には自己中心的な行動をとる傾向がある。一般的に、「自分らしく生きる」とは、自分自身の真の感情や価値観に基づいて行動し、他人の期待や社会の枠に囚われずに生きることではないかと思うが、往々にして勝手な振る舞いばかりが目に留まるものだ。

 実際に言えば人々が自己中心的な振る舞いをするのはほぼ当たり前のことだといってもよいのだが、それを自己中心的な行いかどうかはそれを見る人によって受け取り方も変わってくる。そのような振る舞いは「自分らしい振る舞い」も「自己中心的な振る舞い」でも全て他人が判断するべきものである。自分自身が「自分らしく生きている」と主張する言葉ではない。


「その人らしさ」は他人が決めるもの。自分で決めたらそれはただのエゴに思われる危険もあり

 自己中心的な行動や他人への無関心を正当化するために「自分らしく生きている」という言葉を使うことは適切ではない。もう一つはそんな意図がないにしても自分の行いそのものが自己中心的な行いのように受け取られるリスクを含んでいることに気を付けるべきだ。他人や社会との関係を無視したまま、自分勝手に行動することは、本当の自己を表現するとは言えない、それを「自分らしく」といって逃げる者こそ後々には「あああの人らしいね」と言われることであろう。

●時間にゆとりや遊び、時として無駄がなければ視野はますます狭くなる。

 一般的に忙しい日常やストレスの多い状況では、時間が限られているため優先順位をつけて効率的に物事をこなす必要がある。しかし時間の制約に縛られず、余暇や遊び、または一見無駄に思えるような活動にもゆとりを持つことも重要ではないだろうか。

 時間にゆとりがあると、新しい経験をするために新しいことに挑戦したり、自分自身を成長させるための時間を持ったりすることが可能になる。また、遊びや無駄と思われる活動を通じて、創造性や柔軟性を発揮することもできる。何よりもそこから得た経験が全て無駄になるとはとても考えられない。

時々立ち止まって時間に追われていないか確かめよう


 時間にゆとりがなく常に効率や生産性に追われていると、自分の視野や興味は狭まってしまうだろう。新たなアイデアや視点に触れる機会も減り、自己成長や発展の機会を逃してしまう恐れもある。

 時間の制約だけでなく、ゆとりや遊び、時には無駄と思われるような活動も大切にすることで、より豊かな視野を持ち、個人的な成長や幸福を追求することができるものだと考えたい。前向きな思考があれば実現は思いの外簡単なことだと思う■


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