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ちょっとだけ前向きな言葉(181・182)

●人にはそれぞれの生き方があり、同じものなどない。だから他人と自分を比較するのはまるで意味のない事だと思いたい。

 人間は個体として独自の経験や背景を持っており、それによって異なる価値観や目標を持つものである。それぞれの人が異なる道を歩んでいるのだから他人と自分を比較することは本質的には意味がないことだということをまず最初に知っておくべきだろう。

 他人と自分を比較することは、自分の成果や幸福感を測る一つの手段として考えられるかも知れないが、その結果だって正確である保証はない。他人と比較することによって自己評価が低下したり、自己肯定感が損なわれたりすることを考えると程々にしておいた方が気も楽になるのではと常々思うものだ。


すぐに比較する習慣は多様性の妨げにもなり得る

 また、他人と自分を比較することは、自分自身の独自の目標や価値観を見失う原因にもなっている。他人との比較に固執しすぎると、自分の本当の望みや目標を見失い、他人の期待や社会の基準に合わせようとすることがある。まずは固執しているかどうか振り返ってみて、どうもそんな気がすると思ったら考え直してみることが大事だと思う。

 人と自分を比べるくらいならその差にばかり拘らず方向性を見つめ直してみる方が自己成長や自己満足を追求にも繋がり意義深いのではないだろうか。

●自分を騙し人も騙す時初めて「無意識に」という言葉が出る。あまりに無責任な言葉だとわかれば二度と使わなくなるだろう。

 一般的に「無意識に」という言葉は、人々が自分の行動や思考を完全に意識していない状態を指す場合に使われる。つまり、自分が何をしているのか、何を考えているのかを十分に理解していないという状態を述べている。しかしそれは述べているだけで実際にはその状態を利用してあたかも自分には責任がないような言い逃れをしているのと同じことで、もっと言ってしまえば自分を含め他人を欺いていることと同じだ。

 もし自分自身を騙したり他人を騙したりする行為について、後からその行動の意図や結果に気づいた場合、無意識にという言葉が使うのがもっとも適当だと頭の中で自動記述のように言葉が生成され、そこには責任も何も全く感じられない。

無意識は時として免罪符として用いられる

 こんな言葉を多用しているとそのうちにまたこの人は責任が取れない状態に陥ったのだと思われるようになり、徐々に信頼を失う結果になるであろう■



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