見出し画像

ちょっとだけ前向きな言葉(171・172)

●夢、目標を持つだけで道は開けてくる一方、それを手放したり諦めたりすれば道は閉ざされるように感じてくる。手放した夢の代わりの目標を常に探すべきです。


 夢や目標を持つことは、人生において進むべき方向を示してくれる重要な要素ではないだろうか。夢や目標を持つことで人は自分自身に向かって前進するエネルギーや意欲を生み出すことができる。それはまるで道を開いてくれるような感覚をもたらすものだと信じられる。夢や目標は、人が成長し、自己実現を追求するための指針となる。

夢・目標は生き甲斐を与えてくれる。

 夢や目標を手放したり諦めたりすると、その道が閉ざされたかのように感じてしまうのは致し方ない。人が自身の情熱や意義を失い進むべき方向を見失った結果である。夢や目標を手放すことは、人生の意義や目的を見失い、モチベーションややる気を失う原因にもなり得る。

 したがって、夢や目標を失ったらその代わりに新たな夢や目標を見つけることが大切だ。人は成長し続ける生き物であり、新たな目標を見つけることで自己成長を促し、意欲や情熱を再燃させるものである。新しい目標を見つけることは、道を再び開くことを意味する。常に進むべき目標を見つけることで、人は人生の舵を取り、より充実した人生を築いていくことができる。

 夢や目標を持つことは人生において重要であり、それを手放した場合でも新たな目標を見つけることで、自己成長と充実した人生を追求し続けられるものだと思う。そしてそこには諦念という言葉はないはずだ。

●下心のある親切心は容易く見透かされ、以後の信頼まで失う。己の誠意とはどの程度のものか見つめ直すのが先ではないだろうか。


 下心とは見かけ上は親切であるように振る舞いながら、実は裏に隠れた目的や欲望があるということ。

 しかし、そんな下心は容易に見抜かれるものだ。相手が本当に心からの善意や親切心を持って接しているかどうかは、言葉や行動、態度から感じ取れるものだ。ましてや相手がそもそも見下すような態度で接してくれば尚のことである。もし下心があると感じられる場合、他人はその人の信頼性を疑い、将来的な信頼をも失うかも知れない。

 そのため時には自分自身の誠意や真心の程度を見つめ直す必要があると思う。自分が本当に他人のために親切心を持って行動しているか、それとも何らかの裏の意図や利益を追求してはいないか、正直に自己評価する必要がある。

 論語にも「吾日に三度吾身わがみを顧みる」というくだりがある。自分を見直すことの重要性は古の時代から説かれていることだ。

論語には生きるヒントがたくさんある。

 真の誠意や真心は、他人に対して利益や報酬を求めず、純粋に相手の幸福や利益を考える気持ちから生まれて来るものだ。自分自身が誠実であるかどうかを見つめ直し、他人に対して真摯な態度を持つことが、信頼関係の築き方や深め方につながると思う■

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?