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禁酒の話

【療養日記2023 10月23日(月)】

 数日前に禁煙の話をつらつらと書いたら自分としてはたくさんの「いいね」を頂いたのを見て禁煙には苦労をされている人が多いんだという事を知った。

 真剣に禁煙で悩んでいる人に対して自分のあの日記が参考になったのかどうかはわからないが、決して真似ができるような禁煙法ではなかったかも知れない。どのくらいの苦痛を入院中に味わったのかはこのnoteの「入院日記」を読めば分かるとてもここで簡単には書けないけど、ぎっくり腰のすぐにでも何とかしたいあの痛みが鎮まるどころか日々だんだんとひどくなっていき、鎮痛剤を飲んでもつかの間しか楽にはならず、日に3度(3回以上は使えない)坐薬を使い、起きることも寝返りを打つこともできずじっと痛みに堪えていた、このくらいしか書くことができない。

 そのような痛い目に遭い、その痛みをどう禁煙に繋げたかというと、

①病気で腰が痛くて痛くて煙草どころではない日々を過ごした。
②煙草のにおいが不快に感じるようになっていた。
③喫煙者のマナーの悪さを客観的に見てああなってはいけないと自制心が働いた。

 大ざっぱに書いて上の三つがうまいこと働いたので禁煙にいたったと書いてもいいかも知れない。


 それでは前置き長すぎたけど禁酒の話をしようと思う。かなりの長文になったが酒をやめたいと藁にもすがる思いの人には何らかのヒントになるかとも思うのでどうかお付き合いお願いしたいし、こんなやり方じゃダメだと感じられたら最後までお読みになるのは時間の無駄だと思うので適当に切り上げていただけたらと思う。

 自分の禁酒はどうだったのかというと、禁酒はそれほど苦労せず簡単にできた。と書くしかない。というのも自分はお酒は大好きだったがある程度自制ができて我慢ができたからだ。それともうひとつにはお酒そのものが体質に合わなかったのもある。もうひとつに「酔う」状態に対して気持ちいいと感じることがなかった。お酒好きだけど酔うのは大嫌いだったのもお酒をやめることのできた大きな要因だと思っている。しかしお酒の味と体質は別の話で、やはり好きなものは大好きだった。

 なぜ自制が効いたか、それは酔うと車に乗れなくなるからだ。その点はしっかりと法律を守っていた。例えば夜中に突然ラーメンが食べたくなってもお酒を飲んでいたらラーメン屋にも出掛けられない。歩いて行ける範囲にはコンビニにすら苦労するくらい周辺には何もなかった。わりと生活の中で車は重要なものでもあった。そんなわけで本当に寝るまではお酒を控えていた。または今日はもう外には出ないと心に決めてからお酒を飲むことにしていた。

 とは言っても飲みたくなる気分というのはあったので、その時には車にはもう乗らないとしっかり決めていたが、それでも後になって車に乗れず困ることがあったので車を優先することにいつしか決めていた。そのためお酒に対して自制ができるようになったのだと思う。それと自分が飲むお酒は自分で買いに行くことを徹底していたのもあると思う。バーボンやスコッチなどを本棚に置いてはあったがそれは何か本当に特別なときと自分で決めていて、つまらない理由を考えてお酒を飲むとあとで凹むのでそこはしっかりと守っていた。それ以外のお酒というと大抵はビールだったが、コンビニまで買いにでかけることに楽しみを感じていた

 先述の通りコンビニは家から遠かったので折角買いに行くのなら本当に飲みたいものを飲もうと決めていた。実はコンビニより酒屋のほうが近くにあったが、酒屋で缶ビールを買うのにちょっと抵抗もあった。また家に缶ビールを買い込むのもかっこ悪いと勝手に思い込んで買わなかった。

 このような勝手な思い込みがいいように自分に働きかけ、ブレーキになっていたのは言うまでもない。日本酒、バーボン、スコッチなどは「贅沢品」で、ビールは買い込まず買いに出なければ有り難みがわからない。そして買いに行くことを楽しまなければお酒も不味い、そんなことを勝手に思い込んでいたからお酒をなかなか飲めなかったのだろうと思う。

 それじゃ居酒屋で飲めばいいとも思うが、当時の自分は週3回くらいは飲んで帰ってきていたのでその当たりは自制があまり効いていなかったかも知れない。しかし深酒は殆どしなかった。それはこの後書くがここにも自制が働いたからだ。

 恥ずかしい話だが自分の父は酒に飲まれる人間で、毎晩のように飲んでは午前様で帰って来る。飲んで虫の居所が悪いと当たり散らし、家の中で暴力を振ることもたびたび、そんな父の姿を見て育ったので子供の頃から

コイツみたいには絶対になってたまるか。


 と心に決めていた。そう、禁煙の時と同じだ。迷惑な行為を見て決して同じことで他人に迷惑はかけてはいけないと思ったアレだ。とにかく他人のこういった様子を見てこうなっちゃダメだと自分に言い聞かせていた。「人の振り見て我が振り直せ」という諺があるが、我が振りを直す以前にこうしてはいけないんだと厳しく律していた。これは今でも自慢のできる事だ。そしてそれほど難しいことでもない。飲酒でも喫煙でもマナーを守らないとこうなるんだ、それだけはしないと心に決める、それだけでも自分を制することができるはずだ。できなければ自分の意志が弱いなどと考えるのは甘ったれた考えだ。それこそ自分は他人に迷惑をかけても気にしない身勝手な奴だと自分自身を反省することだ。

 こんな反面教師がいたおかげで自分は酒とギャンブルには溺れずにすんだのだと思う。それだけ自分が子供の頃はこの一人の人間の身勝手な行動で苦しめられていた。なので今でもギャンブルをする人間=人に非ずとまで思うようになっている。

 こうして酔うと他人にどう迷惑をかけるのかも分かっていたし、週に3度は飲みに行っていたときの同僚にも人間のクズみたいな奴がいてそれも酔っ払うとどうなるかを散々見せつけられていたので深酒は当然できなかった。

 もうひとつお酒と簡単に縁が切れた理由は体調だ。お酒は好きなのに飲めば翌日必ずお腹をこわすようになっていた。あまりいいことではない。最初はちょっと体調を崩したのだろうと思って気にせず飲んで帰って来たり、ちょっとした儀式を経てお買い物を楽しみにビールを買ってきて(買うときは合計1ℓまでと決めていた)飲んだりしていたが、とにかくお腹が緩くなるのがたまらなかった。それでも気にせず最初のうちは飲んでいたが、それがひどくなると飲む量を減らし始めた。まず外飲みから減らず、減らせば財布に優しいからだ。ただし家飲みはなかなか1ℓという量を減らすことができなかった。

 1998年の正月、韓国に行くことが決まった。それが初めての韓国旅行だったのだが、途中まで長崎に遊びに行く友人と合流し長崎、佐世保と旅をし、そこで友人達とは別れて福岡からフェリーで釜山に向かった。長崎、佐世保、そして小倉に宿泊したときも毎晩ビールを飲んではお決まりのように翌朝お腹を壊して苦労した。

 福岡港から釜山港へ向かうジェットフォイルは乗っている時間が3時間、出航して1時間後に売店が開くと免税価格でビールが飲める。いまでも覚えているがサッポロ黒生500ミリ缶が免税価格だと1本100円だ。まさにビバ免税だ。そりゃ飲まないわけにはいかない。ということで調子に乗って4本船の中で飲んでベロベロになって釜山港に到着。しかも釜山港から荷物を引きずって南浦洞ナムポドンまで歩いていった。酔いも回ってへべれけになってその日の宿を探して荷物を置くと酔い覚ましに釜山駅へフラフラと出かけた。側から見たら昼間から酔っ払った男が駅のベンチでクニャクニャになっている。何でみっともない姿なんだろう。今思えば韓国とはいえ外国で酔っ払って座り込んでよく無事だったなと思う。

 韓国初日が今振り返るとこんな情け無い状態だった。それでも不思議と記憶があるのは飲んだのがビールだけだったからなのだと思う。

 しかし翌日例外なくお腹が緩くなりなかなか予定通りに動けず、午後になってやっと釜山の町歩きができるようになったという苦い思い出がある。自分でも反省して旅行中もう酒は飲まないと決めた。

 その断酒がいま現在まで続いているのだ。あの時釜山でお酒をやめたからという仰々しいスタートがあったので、それを簡単にやめてしまうのもという気持ちが働いた。やめるきっかけが仰々しいのはいいことかも知れない。たとえば自分の誕生日だから。一晩のビール本数自己記録更新したからだの、何でもいいから仰々しいシチュエーションをきっかけに禁酒をスタートさせるとただ思いつきでやめるよりも続きやすいと思う。

 もうひとつは早々に周囲に対して宣言したこと。釜山でお酒をやめて帰りのジェットフォイル(帰りも韓国から船で帰ってきた)でも免税100円ビールの誘惑にも負けず帰ってこられ気分を良くしたので、

「僕さ、ちょっとお酒やめてみる。」

 と周囲に宣言した。当然そのリアクションは異口同音で

無理に決まってるだろ。


 と、半分笑いながらのリアクションだったが、それでも「一ヶ月くらいはイケそう。」で続けてみた。するとその一ヶ月が二ヶ月、三ヶ月、半年とだんだん長くなっていき、最後は調子に乗って

「このまま五千日やめてやる。この調子ならイケる。」


 と宣言したときも周囲は大笑いをしていた。しかし簡単に五千日やめることができた。その頃周囲にいた仲間の大半は僕がお酒を飲まない人間だとばかり思っている人ばかりになっていた。僕が大酒飲みなことを知っている人は五千日の間にだいぶ減っていた。

 お酒の味が恋しくなるとソフトドリンクで誤魔化し、飲んだら翌朝下痢Pだと自分に言い聞かせて頑なにお酒を拒むことができた。

 お酒は煙草とは違ってやめられたらそこで成功というわけにもいかないと思うが、逆に言えば長い間やめていたお酒を今飲んだらどんなことになるだろうという怖さもあった。お酒に依存するほどでなければこの「どうなるかわからない」が結構怖く感じる。

 また自分の場合はお酒はやめたがその分の煙草は続いていた。酒をやめたんだからその分煙草吸ったっていいだろうと考えていたのもお酒をやめる原動力だったと思っている。

 お酒、煙草のどちらともやめた当初は不安になるし、それだけ大好きなものを手放してしまう寂しさ、そして自制が効かずにまた味わったときの幸福感と言ったらこの上ないことも知っていた。しかしそれを拒み続けて頑張る自分の姿だってかっこよく見えるはずだ。ましてや自分のためだけでなく大切な人のためにという大義名分があるのであれば尚のことカッコいいと思う。

 そして最後は禁煙でも禁酒でも普通の人が達成しにくいことに成功したという自信が後押しをしてくれるはずだ。頑張ってお酒、煙草をやめた人はかっこよく見えるし、それが達成できていない人から見たら羨望の眼差しで見られるものだとも思う。禁煙に成功した舘ひろしがテキトーにかっこよく見えるのと同じで、禁煙、禁酒ができた人はそれなりにカッコ良いのだ。煙草やお酒に蘊蓄たれているのが鼻につく人を見たら「まだやめられないのに随分とエラソーじゃん」と思う事もできる。

 大酒飲みやヘビースモーカーを売りにしているタレントも最近はみっともないなと感じるようになってきた。それでいいと思う。そう思うことで禁酒や禁煙が続けられ健康を維持することができればその姿を見て嘲笑するような人はいないはずだ。自分に自信も持てるようになりこれからの生活もますます充実することだと思う。そうなった時にかつての自分を見直してよくここまでできたなと感じられればそれでいいと思う。

 まずは何か特別な日でもあったらそこから始めてみるのも良いかと思う。できれば「あの時が断酒のスタートだったんだ。」と後から気がつくくらいの方がいいと思う。酒は煙草ほど有害でもないし、上手に付き合う自信があるのなら一生付き合っていけるパートナーでもある。それでも止める必要に迫られた時は思い切って始めてみよう。助走をつけるようなやめ方は長続きしないと思う。

 以上が禁酒に関して自分が言えることだ。運悪くお酒に強くて飲んでもお腹を壊さない人にはちょっと大変かもしれないが、酔っている時間を有効的に使えればその分長生きしたも同然と思うようになれればしめたものかも■


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