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深読み:音と耳

アルジュナの第二の通過儀礼(イニシエーション)では、音と姿が深く関係しています。二度目の放浪の旅の途中、ユディシュティラは、インドラ神のもとで武器を獲得するように命じました。ヒマラヤの森の中に入った際に、アルジュナは、まず法螺貝と太鼓の音が天空に鳴り響きにより、神の存在を悟ります。その森で苦行を続けるアルジュナは、キラータの姿をしたシヴァを見ました。

ある研究者によれば、神々の出現と音との関係は強いと言われます。目で見ることのできない神のことを、音や声、つまり響きをとおして現れる存在だと考えるならば、「音声でキャッチする耳は神々の依代であるといえるだろう。神々はまず最初に人間の耳に訪れる」と。耳が、日常を超えた超越的な世界に真っ先に開かれていることを明らかにしています。

「雷」→「神鳴り」→「神成り」と説明できます。
「耳」→「身身」→「実実(身の中の身)」、すなわち、生命や霊の依代と解釈できます。

村上春樹の小説でも、耳が内面の世界と外界の界面に位置するかのように描かれています。例えば、「羊をめぐる冒険」のキキは、髪でいつも耳を隠していました。耳を隠している時は、本当の私ではなく、耳を開放した時こそが、全体として生きていると言えます。「ダンス・ダンス・ダンス」の13歳のユキは、いつもヘッドホンでうるさい音楽を聴いていました。これは、感受性が強すぎるユキが結界をはっているような行為とも考えられます。

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