見出し画像

フリードリヒ・ニーチェの代表作『ツァラトゥストラ』を読んで。

 ニーチェの警句のような短文を読んだり見かけたこともあったけど、本としてニーチェを読んだのはこれが初めて。ニーチェの燃え上がるような未来への希望を感じるし、暗闇のような人間社会への絶望も読み取れる、読み応えありすぎる本です。
 
 一気に読むと知性が消化不良になりそうで、毎日少しずつ読みました。『ツァラトゥストラ』より後に読み始めた『吾輩は猫である』の方が先に読み終わってしまうという。それと、『吾輩は猫である』の中で登場人物が西洋文明の限界を語る文脈で、ニーチェのことを引き合いに出していて。読書をしてるとたまにこういうシンクロが起こります。

 本の内容は、ツァラトゥストラというニーチェの心の化身・代弁者のような男が、放浪する先々で大いなる思想を語るものです。

 ツァラトゥストラの語り方はよく、具体的なことを使って、抽象的なことを言っています。なので時に意味がわからないこともあり、だけど大事なところではわかりやすく直接的な表現で語っていました。

 自分は昔から、比喩法で抽象的なことを話す文章が苦手で、そういう技法の文学を避けています。日本の文学で言うと、寺山修司の詩など。何を言ってるのか確信が持てないと、読む意欲が削がれてしまうみたいです。寺山修司文学の愛好者にとっては、意味が明瞭ではないとこに魅力があるのだろうと思います。

 『ツァラトゥストラ』に話を戻すと。この本にはニーチェの苦悩があって、だけど次の時代を生きる皆へ希望の火を残そうとした、魂の苦闘がありました。何も悩まず呑気に生きていることも尊いことだし、実は悩まないことも難しいことです。ただ、ニーチェの時代には人々の心の在り方が大きく変わって、誰かが前時代の拠り所みたいなものを倒さないといけなかったのかも知れません。結果的にニーチェは学会から追放されてしまいました。時代と刺し違えたかのように。

 こういう孤立して迫害にあって、破滅系で変人系の偉人。けっこう好きです。戦って勝つとかでなく、信念を貫いて我が道を行ってるような。

 ツァラトゥストラは、「読書する怠け者を俺は憎む」と言ってます。それは、他人の意見を聞いてるだけで、自分の意思で何も行わないでいるという意味で、怠け者なのでしょう。少々読書家であることに情けなさもありますが、『ツァラトゥストラ』を読むことは許してほしいものです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?