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『吾輩は猫である』は、喜劇小説か、文明批判小説か、あるいは、青春小説か。

 吾輩は猫である。名前はまだない。

 この有名な書き出しの小説を、自分はこの前初めて読みました。

 夏目漱石の初の長編小説であり、一般的には喜劇小説のジャンルになっています。また、文庫本の解説には、猫視点から人間社会を批判するという、文明批判小説と書かれています。
 それと、対談本で養老孟司さんが、『吾輩は猫である』の猫がお餅を食べようとして歯に引っかかって飲み込めずに踊りを踊ってしまうシーンについて、次のように述べてました。

 栄養にならないわけじゃないし、飲んだっていいんだけど、歯にくっついちゃって、どうしても飲み込めない。それで踊っちゃう。それが漱石であり、当時の日本だった。猫の踊りが『猫』という作品そのものだなと思ったんです。

『日本の歪み』

 猫=当時の日本=夏目漱石、という説は面白い視点です。そのようにも読めるかも知れません。
 『吾輩は猫である』は喜劇小説でもあり、ある面では文明批判小説でもあります。

 あるいは、夏目漱石の日々の出来事を題材にした、青春小説なのかなとも読めました。
 
 猫君の主人、苦沙弥先生は中学校教師で胃弱で鼻の下に髭があります。まるで漱石そのもののような人です。
 苦沙弥(くしゃみ)先生宅には、少々風変わりな様々なタイプの人達が集いました。

 苦沙弥先生の同窓生で、自称美学者の迷亭(めいてい)君。この人の話していることはほとんどが嘘かユーモアです。仕事はしてないのか、しょっちゅう苦沙弥先生のところに話をしに来ます。しかも、来訪時に家の人達に案内も請わず、玄関を開けてそのまま苦沙弥先生のところに入って来るという、なんかとらえどころのない人です。

 苦沙弥先生の元教え子で、大学で物理学を研究している、水島寒月君。大変な変わり者ですが、品があるというか、素直で好青年でもあります。

 寒月君の友人で、越智東風(おちとうふう)君。文学美術好きで新体詩の詩集を出したり、朗読会を開いたりしてます。

 その他、苦沙弥先生が心酔しそうになった怪しい哲学者や。苦沙弥先生のことを凹まそうと企む、迷亭君苦沙弥先生と同窓生の実業家の鈴木君。

 ドラマチックなことはあまり起きない小説なのですが、自分はこの物語を読み進めるのが楽しみで仕方なかったというくらい、面白い小説でした。

 苦沙弥先生は主人公の猫君から観て、陰気で理屈屋でかんしゃく持ちなのですが、同時に奇妙な魅力があって、ほっとけない感じがありました。どうも読者である自分も、明治時代東京の風変わりな人達や主人公の猫君のように、気づかぬうちに苦沙弥先生に惹きつけらていたようです。

 夏目漱石の後期、小説家として揺るぎない評価を得られたのは、人生の重苦しい悩みや不条理を描いたからでした。

 とは言っても、初期の頃の『吾輩は猫である』のような楽観的で明るい青春小説も、さすがに夏目漱石であって、読んでみればそこには文学や物語に触れる楽しさや味わいがありました。




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