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『何もしない』という本

 本を買うのに通販を使うこともありますが、本屋を彷徨ったり図書館で本棚を眺めたりもします。そこで偶然良い本に出会うことも。
 この『何もしない』もたまたま本屋で、表題のインパクトに惹かれて開いて見ると、自然やアート等の自分の興味の分野らしく、著者の名前とかも聞いたこともないのですが、偶発性に期待して買ってみました。それは大当たりでした。
 

著者のジェニー・オデル氏は、『何もしない』執筆時はアーティストで大学講師でしたが、現在は大学は退任しているとあとがきにあります。そのアート作品は、企業の倉庫内で開発途中だったり何らかの理由で、製品として販売されないまま、内部留保されている家電製品を展示するというもので。開発者の名前や原材料の産地国等も表示するそうです。
 その展示に対して、「家電製品をここに置いただけでしょ!?なんでこれがアートなの?」とよくクレームがあると。でも、そんな作品を観たら、自分は考えさせられると思いました。芸術の定義はたくさんありますが、とりあえず一つ上げると。
 鑑賞者の世界認識や感性が、作品によって影響を受けるなら、それは芸術なのではないでしょうか?

 思わず認識が変わってしまう時、人は立ち止まってしまい、何をしようとしていたのか何に向かって進んでいたのか、きっと考えこんでしまいます。『何もしない』という本は、言い換えると、立ち止まることについて書かれていて。それは消極的な意味ではなく、またジェニー・オデル氏以前から、古今東西の人々が言っていたことでした。
 日本人も1人取り上げられていて『わら一本の革命』の著者、福岡正信のことが書かれています。自分は『わら一本の革命』を読んでないですが、福岡正信の名は聞いたことがありました。肥料を与えず、耕さず、雑草をできるだけ抜かないという、自然農法を提唱した人です。
 
 その他、著者の専門分野らしいネットの問題について書かれていました。

 ジェニー・オデル氏が引用した、情報産業のエンジニアが書いた本によると、ネットサービスの設計は、便利で興味をそそる文言や画像で私達の注意を引きつけます。それから、ある帰結へとネットユーザーの気が付かないように誘導しているそうです。気付く人もいそうですが。ある帰結とは、消費や経済活動に引き込むことです。それはそうですね。ネットは行政サービスでもボランティアでもなく、利益企業がやってるのだから。問題なのは、私達の感覚がそのことに気が付かなくなることです。本書の内容はそんな感じでした。

 『何もしない』という本を書きながら苦心惨憺しているジェニー・オデル氏を見て、ある友人は笑っていたそうです。

 ジェニー・オデル氏は子供の頃、近所のクリーク(用水路)でよく遊んでいたそうで。大人になってから知り合いと、近所のクリークについて話をしていると、その知り合いの近所のクリークは、オデル氏の遊んでいたクリークとつながっていると知ったそうです。
そしてある日、2人でクリーク探検をしたと書かれていました。そのクリークはその都市の商業ビルの地下へ入って暗渠になっていたと。
 大学講師をしているようないい大人が、用水路探検を楽しんでいるところを読んで、自分は好感を持ち、また笑ってしまいました。
 
 

 

 

 
 
 
 
 
 
 

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