女性も、男性も、生きづらさの中で生きている

「生理が遅れた女性が妊娠の可能性に不安を覚えて、でもパートナーの男性に伝えることもできずに悶々としてしまう」という内容の韓国のwebドラマがTwitterで流れてきた。(URLを貼りたかったのだけれど、どこにいったか分からなくなってしまった…)

女性の「もしかしたら妊娠してしまったかもしれない」という不安がリアルに描かれていて、是非とも男性に見て欲しい内容だ、と。
言わずもがな女性からは多くの賛同コメントが寄せられていたし、男性からも「こんなに不安に思うなんて知らなかった」という趣旨のコメントも多く集まっていた。

この動画は、なかなか想像しづらい女性の苦しみを想像する手段としてとても上手くできているな〜と思う一方で、女性から男性に対する敵対心とも思えるような「こんなことも分かっていない男は駄目なんだ」という趣旨のコメントも目立っていて少し不安になった。

最近は、「女性の生きづらさ」に対して特にスポットライトが当たっている気がする。また、男女という区切り方であったり、それに付随する無意識のバイアスに対しても社会的によりセンシティブになっている。

それらはとても望ましいことなのだと思う。長い歴史を振り返ってみても、生きづらさの中に女性がいたことは明らかではある。

ただ、上記のような論争が起こる時に「だから男はなにも分かっていない」「だから男は駄目だ」という内容のコメントを見ると、それはまた生きづらさの中に男性を押し込めようとしているのではないか?と思ってしまう。


就職活動をしていた時に、「男性は大変だ」と強く感じたのを覚えている。
なぜって? 女性には選択肢があるように思えたからだ。

これは時代錯誤の考え方かもしれないし、実現可能性の低い話なのかもしれない。でも、わたしが就職活動をしていた時に、女性の目の前には2つの道が用意されている(と思い込んでいる人が多い)と感じた。

一つ目は、 自分の力で生きていく道である。
当たり前の話なのだが、キャリアを自らの手で切り開き、自分と家族が暮らしていけるだけの財力を手にする。

二つ目は、人に頼りながら生きていく道である。
給与はそこまで重視しない、だってわたし、専業主婦になるから。
あるいは、財力のある彼をゲットするから。
だから、できるだけキラキラしたところに勤めたいんだ。モテる企業や、出会いの多い職場がいいな。

もしかしたら偏見も含まれているかもしれないが、多少なりとも後者の考え方を持っている人はいたように思える。

で、後者の道は、男性に対しては開かれていないことが多い

男性は職業を検討する時に、自分を養っていくことは大前提として、将来家庭を持ちたいのであれば家庭を養えるだけの財力を手に入れることができるかまで検討をする。

女性は、総合職か一般職かどちらに進むかを逡巡することがあるが(※一般職でも後者のような考え方をしている人ばかりではないかもしれないということだけ付け加えておく)、基本的に男性は総合職一本なイメージだ。
男性が専業主夫になる、という例もあるのかもしれないが、あまり多くはないイメージだ。

男性の方がハードモード(まあ自分の人生に自分で責任を持つ、という当たり前の選択ではあるのだが・・)を強いられるというのは、それなりに大変なことなのであろうと思う。

これはあくまで一例ではあるのだが、つまり、だ。

結論 : 男性も女性もすべからく、それぞれの生きづらさがある。


みんな大変。みんな生きづらさを持っている。
そこに、女性だからどうだ、男性だからどうだ、どっちがいい悪いなんてものはない。子どもであれ老人であれ日本人であれ外国人であれ「みんな生きづらい」。そういう前提に立って、相手の生きづらさを想像することができたら、もっと良い社会になれるのに。

フェミニスト、という言葉がある。
フェミニストとは、全ての性が平等な権利を持つべきだという理由から女性の権利を主張する行為(フェミニズム)を支持する人のことだと定義されている。

最初に断っておくと、わたしはこの言葉に対して造詣は深くない。
ただ、敏感に様々な物事に過度に反応して、過激な論を展開する自称フェミニスト達をたまに見かけることがある。勿論、全員ではないのだろうけれど。

排他的になることなく、違いを想像することができたら。
なんだかそういうことを思いました。

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