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戦争と平和 日本と香港~旧日本軍の足跡をたどる~城門陣地跡編①


|日本軍が最初に陥落させた場所

旧日本軍の香港侵攻は、1941年(昭和16年)12月8日のアジア太平洋戦争開戦直後から始まった。その日本軍が香港で最初に陥落させた場所が、新界南西部、城門貯水池南側に位置する英軍の城門陣地だ。英国政府が築いた東西18キロに及ぶ防衛線「酔酒湾防線(ジン・ドリンカーズ・ライン)」の一角を占める。

12月9日深夜、奇襲攻撃を仕掛けた日本軍は翌朝までに城門陣地を陥落させた。英軍側からすれば「想定外」の速さだったが、日本軍側からすれば、夜襲や山間部での攻撃訓練を繰り返したことが奏功した形だった。

城門貯水池は戦前、香港で最大規模を誇り、九龍半島全域のほか、香港島へも給水管で送水するなど市民や軍の「生命線」だった。このため、日本軍の重要な攻略対象の一つとなったのだ。

今は香港政府が整備した郊外公園「城門郊野公園(シンムン・カントリーパーク)」の一部に、戦争遺構として残る。貯水池を取り囲む散歩道は、自然豊かで四季折々の変化が楽しめ、家族連れやハイキング客でにぎわう人気スポットとなっている。

日本軍は1941年12月9日深夜、前方の高地にあった英軍の城門陣地に奇襲攻撃を仕掛けた

|「歴史認識」の転換期にある香港

過去2年半の新型コロナウイルス流行で、香港でも海外渡航ができなくなったが、代わりに市民の間で「散策ブーム」が起き、城門貯水池も散歩道だけでなく戦争遺構も以前より知られるようになった。

だが、日英両軍衝突の詳細を知る人は多くはない。もともと英国植民地で複雑な背景を持つ香港では、学問としての歴史研究を除き、歴史教育が軽視されてきたためだ。

もっとも、香港は今、歴史認識を巡り大転換期を迎えていると言っていい。2020年の香港国家安全維持法施行以降、香港政府が「愛国教育」の一環として、特に若者への歴史教育を重視する方針に舵を切ったためだ。高等教育機関を含む教育現場でカリキュラムの見直しが加速している。

8月に入り、日本では「戦後77年」としてクローズアップされる先の戦争。香港では昨年末から、日本軍による香港占領80年と絡め、「三年零八箇月(3年8カ月)」と呼ばれる日本占領期や中国共産党系遊撃隊(ゲリラ)の活動を紹介する展示会、関連の市民講座が相次いで開催されている。

地元中学校関係者によると、当局の要請により、日本軍を絡めた生徒帯同の実地研修も始まっているという。今後、中国本土並みに歴史教育が一層強化される見通しだ。

香港での「歴史認識」の変化に注意を払う一方で、香港に住む日本人として、一記者として、先の戦争に向き合い、ここで起きたことを少しでも伝えていきたい。旧日本軍兵士だけでなく、多くの人が戦禍で亡くなっている。記憶の継承が課題となる中、日本軍の足跡をたどりながら、平和とは何かを共に考えていきたい。

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