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戦争と香港~旧日本軍の足跡をたどる~春坎角砲台跡編

 春坎角(チョンホンコック)砲台の遺構は、香港島南部の観光地である赤柱(スタンレー)から見て西側の半島に残っている。1930年代後半、日本軍による中国進出拡大を受け、警戒を高めた英国政府が香港防衛計画を見直すなかで新たに設けた沿岸砲台の一つだった。1938年、同地に6インチ砲2門を配備し、完成させた。

 41年12月8日、太平洋戦争(大東亜戦争)が勃発すると、日本軍は中国本土側から香港に進攻を始める。新界地区と九龍半島を占領した後、英側が2回の投降の呼び掛けに応じなかったことから、18日夜、香港島上陸作戦を実施した。九龍半島から島東部に上陸した日本軍はカナダ兵を含む英防衛軍の苛烈な反撃を受けながら、徐々に南進した。

 19日、「スタンレー半島に兵を集中させよ」という命令を受けて、春坎角砲台の砲兵は一部施設を破壊し、近くの別部隊を率いて同半島にあるスタンレー砲台に撤退した。その後、同砲台を守った部隊は香港総督が降伏文書に署名した翌日の26日まで日本軍と戦うことになる。日本軍に電話回線が切断された影響で情報が伝わらなかったためだ。

公園から望むスタンレー半島

 春坎角砲台はこの戦いで日本軍から直接攻撃を受けなかったが、大潭道(タイタムロード)と浅水湾道(レパルスベイロード)に沿って南下した日本軍の部隊が、24日には同砲台を眼下に望める春砍湾北側の高地まで迫り、25日夜までに一帯の高射砲台と沿岸砲台を占領している。日本軍による占領期には、連合国軍の攻撃に備え、引き続き沿岸砲台として利用された。

 45年8月に日本の降伏が決まると、そのまま役目を終える。現在はバーベキューサイト付きの公園として転用され、香港政府が管轄する。2009年12月に2級歴史建築に指定されたものの、近くの老人ホームの拡張工事に伴い、砲床跡2カ所のうち1カ所が撤去された。23年時点で残っているのは半球のふたが付いた1カ所のみとなっている。

2級歴史建築に指定されている

 行き方は非常にシンプルだ。最寄りのバス停から20分ほどかけてひたすら1本のアスファルト道を歩き、老人ホームを通過してさらに進むと突き当りに公園がある。途中、多数の英軍施設の跡を目にするが、一般道路沿いの戦時遺構としては、香港内でも保存状態が良いほうだろう。

平日は特に人影が見えない

 また、公園内を通り抜けて海側の階段を降りていくと、探照灯台跡を利用したコンクリート製の休息所がある。ここから外を眺めると行き交う船ばかりでさえぎるものが何もない。かすかに小さな島が残像のように視界に入ってくるだけだ。

 恐らく数十年前も同じ光景が広がっていただろう。過去に軍事施設だったことを思わず忘れそうになる場所だ。

近年、お薦めの撮影スポットとして取り上げられるように

 


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