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何者かになりたい人へ

よく聞くのは何者かになりたい
若い人がよくいう言葉のようなものだと思います。
この「何者」というものはおそらく職業や生き方というものではなくてSNSでのフォロワーがいっぱいいる人、SNSで有名人、バズる人などそういう意味なのではないかなと思っています。

また、こういう物言いが流行ってきたのはウシジマくんという漫画のとある一節をもじってなのではないかなと考えています。
若い人はどこか冷静に自分のことを見ている癖にピーターパンのようなどこか夢見心地です。これは別に今の若い人たちにだけかと言われるとそうではないかもしれません。
ただ、多くのという言葉遠からず当たっているのではないでしょうか
その原因としてはやはりSNSでしょう
お金持ちの世界というものをSNSで見ることができる
それは小さいスマホというものを通して見ているのに過ぎないのにそれを知ったかのように、もしかしたら経験したかのように思ってしまう。
ゆえに一生懸命なんて働かない、夢はみないそんなどこか冷静な冷めた自分というのを持ってしまいそれは一様にしてその価値観を持っている、いえ持たされてしまったと言ってもいいのかもしれません。
そんな風に思えてならないのです。
また、ピーターパンというのは逆にどこか一発逆転があるのではないかと心待ちにしている面もあるということです。
SNSで見るチャンスをこんなに目にする機会があるなら自分でもできるのではないかと思えてくるのです。
しかし、実際は小さいことの積み重ねでやってきたことなのかもしれないのにそれを知ってか知らずか何者かになれると思えてしまっているのです。
この部分が若者の「何者かになる」の部分なのです。

では、その何者かになるためにエンタメのような自己啓発書などというものを読み始めるのです。
「わたしはこうして成功した」みたいなものです。
もちろん、こんな本にはまったく価値がないのですが読みやすい語彙に太文字で書かれている有り難そうな言葉
ページ数は一丁前に200ページくらいいくけど内容は薄く文字数も実は大したことないマッサージ本
これを読み終わるとなんとも言えない高揚感と読み終わった達成感に溢れていて何かができるような気がするのです。(したと思い込む人もいます)

このようによく聞く、自己啓発におけるノウハウの使用や自己啓発書で平積みにされているような最速や最短でなどのタイパを謳うものでその「何者か」になるような人たちが多いなという印象ですがこのような本を読んで面白い人間になった人を『僕』は知りません。

自己啓発書でも動画を見ても、誰かの真似をしても「何者か」にはなれるのか
いえ、そういうものではその「何者か」にはなれないと思っています。

自分が何かをやらなくてはいけない
その何かを見つけてやり続けること
そして、人に支えてもらう、見ててもらう
その先に人から言われることが、あなたの求めている「何者か」なのです。
決して、自分では形作ることができず、相手から求められ相手に呼ばれることで輪郭づけられていくものがそれなのだと思っています。

もちろん自分が目指す理想像というものやロールモデルを作っておくことは大事です。ただ、それが多くの人たちがいう「何者か」になるそれとは異なるものであると言っておきたいのです。
そうそう、憧れというものも別のモノですよ
いま、あなたが思っている何者かになるの何者かはなんなのか?
それを知ること、そしてそうではなくてあなたがやるべきことをやりたい事をやるのです
できれば、楽しそうに
そうすると、あなたの周りに誰かが集まっていき、その誰かはあなたを「何者か」にしてくれるのです。
『僕』はそう思います。

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