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【日本人も知らない?】香道の流派、ご存知ですか?

前回は茶道の流派についてご紹介しましたが、今回は香道の流派についてご紹介していきます。友人のお母様(香道家)に教えて頂いた、知る人ぞ知るお話も満載です。

そもそも香道って?

香木

煉香

香道を全く知らない方は、茶道と比較することで分かりやすくなるかもしれません。
茶道では「お茶」を点てて飲むように、香道では「香木」や「薫物」を焚いて、その香りを味わいます。
茶道ではお茶の点て方と共にお作法を習うように、香道ではお香の焚き方と共にお作法を習います。
茶道でもお茶席があるように、香道でもお香席があります。

香道の歴史

香道具

仏教と共に日本に伝わった「香木」は「祈りの香」として伝わり、広まっていきました。
やがて、香木や麝香などを調合して作る「薫物」も日本に伝わり、平安期の貴族たちによって生活文化の香りとなり、「雅の香り」となりました。薫物を部屋にたき込めたり、衣装にたきしめたりと、香りそのものを楽しむようになったのです。
さらに時を経て、鎌倉時代から室町時代には、武将たちが荒々しい戦の合間、香と茶を大切な嗜みとし愛好しました。武士の嗜好や美意識によって、さらに香木の価値を求め一本の香木の賞味やたき比べへと香の愉しみも変化していきました。
室町時代の後半に登場した東山文化の八代将軍足利義政は、香を愛で芸道としての体系作りの祖となりました。香道はこうして生まれたのです。
出典:株式会社日本香堂

香道の流派って?

寺1

香道の流派もたくさんありますが、代表的な流派を紹介します。

◯関東の流派
・直心流
「香木」だけでなく平安時代の「薫物」の文化も後世に伝えようと、志野流から独立した流派です。浅草寺大僧正と共に香道の存続に奔走し、カルチャーセンターに香道を持ち込みました。
○関西の流派
・志野流
室町時代の香道家である志野宗信を祖とする流派です。
現在は蜂谷家が継いでいます。
・御家流
室町時代の公家である、三條西実隆公を祖とする流派です。
一時期途絶えかけていましたが、山本霞月により再興されました。
・米川流
武家に支持された志野流の流れを汲み、米川常伯を祖とする流派です。
江戸時代には最大の流派となりました。
・風早流
江戸時代前期の公卿である風早実種を祖とする流派です。
出典:茶湯手帳

実は深い関係にある三つの流派

香道にはいくつかの流派がありますが、その中でも関東の直心流と関西の志野流、御家流には、とても複雑な関係がありました。

戦後、志野流の家元の所では、三人の方が香道を学んでいました。
一人は志野流の次の家元になった志野宗玄
一人は御家流を復興した山本霞月
一人は直心流を興した松崎雨香
出典:裏千家「淡交会」講演

薫物を教えるために離れた直心流

松崎雨香は「室町時代以降の香道だけではなく、仏教とともに伝わった供え香、平安時代の薫物の世界も後世に伝えたい」として志野流を離れて直心流を作りました。
出典:直心流について

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御家流を再興するために離れた山本霞月

途絶えかけていた御家流を救ったのが山本霞月です。戦後の御家流は、お道具は残っているものの、お香の焚き方などは失われていました。志野流にいた山本霞月は、御家流に移り私財を投じて尽力しました。これによって、御家流は無事に再興を果たすことができたのです。
出典:裏千家「淡交会」講演

御家流

分かれた後は?

分かれた後はどうなったのでしょうか?
どうやら、仲が悪くなったりはしていないようです。茶道で裏千家の先生をしていた友人の母は、最初は直心流で勉強をし、後に志野流に移りました。
直心流はお香の焚き方とお手前を重視していたので、直心流でお手前をしっかり覚えてから志野流や御家流に移るなど、人の行き来も盛んだったそうです。

流派による違いって?

流派によって、お手前の雰囲気や、お道具などが異なります。
〇お手前の違い
直心流:武家のお手前
※伏籠手前では華やかな公家の雰囲気もありました
志野流:武家のお手前
御家流:公家のお手前

〇香炉やお道具の違い
直心流:青磁や象牙など、簡素な良さ
志野流:青磁や象牙など、簡素な良さ
御家流:蒔絵など、豪華で派手な良さ

〇お香席、お教室での違い
直心流:客の前でお香を焚きます。お教室では初日からお香の焚き方を教え始めるそうです。
志野流:客の前ではお香は焚きません。客作法のみのお教室が多いですが、何年かすればお香を焚かせてもらえるようになります。
御家流:客の前ではお香は焚きません。客作法のみのお教室が多いですが、何年かすればお香を焚かせてもらえるようになります。

いかがでしたか?流派の違いって面白いですよね!
次は華道の世界についてもご紹介したいと思います。

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