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吐露したいこと

ぼやっとした水風船のような重たさを顔面に感じながらパソコンを開く。パソコンを開くのも1カ月ぶりくらいではないだろうか。カフェインとりてぇと思いながらカフェインレスコーヒーを温めた。まあ正直、最近は「カフェイン取って気分よく元気に過ごせるならそのほうが胎教にいいだろ」と開き直りつつあるのだが。

大きくなってきた腹を抱えながら1歳児とこの酷暑をしのいでいる。
我が子はあまりアクティブな方ではないので家にいる時間が増えたかもしれない。何せ遠出できる外気温ではない。子にとっても、妊婦にとっても。
恐らく育てやすいほうなのかな、というか私や同居人の気質に沿う赤ちゃんなんだろうなと思う。それゆえに二人目がどんな子が生まれてくるのか悪いほうの想像しかできずにいる。そんなことがたまらなく申し訳ない。どんな子が生まれてもと思えるほどの覚悟と余裕が私には今なくて、かといっていつその余裕とやらが生まれるのか、そんなものを待ったり掴んだりしている時間よりも必要に割かれる大事な時間がたくさんあった。
どんな子が生まれるのか、一人目の今の子のようにはいかないだろう、里帰りしたくない、でも前回の産後のことを考えると体力に自信がない、入院中に子と離れるのが怖い、二人の子供をキャパオーバーせずに育てるなんてできない、そんなようなことが常々頭によぎるたびに脳の裏にこびりついていくようだった。脳の余白がそうやってどんどん埋まって、光が入りにくくなっているのをなんとなく感じていた。
なるべく睡眠時間を増やしてメンタルを安定させようと試みても、タスクを終わらせるのに睡眠時間を削らざるを得なかった。どんなに頑張っても早く寝れるではなくいつもと同じ時間に寝る、をキープするので手一杯だ。
食べるものや運動も気にしてみたが、粗食のほうが安定すると聞いたがかえって荒れた気がした。運動はこの気温とこのお腹なのでせいぜいストレッチ程度だが、これはまあしないよりはよかったかも。
とにかくいろんなことに対して一触即発で気持ちを振り回されるので、なるべく安定して過ごせる日を増やそうと試みていた。けれど過敏になっているのも、光が入りにくくなっているのも取り除けずにいた。
二人目の妊婦となると結構周りから忘れられることが多い。私だけかもしれないが。
もう二度目だから大丈夫でしょ、という空気感をあちこちで感じるが、確かに二度目だが何度やっても大変なのは一人目と同じだったし、気を付けなければいけないことはむしろ今の方が多いくらいだ。

子どもがおらず、奥さんと別行動することも多い比較的自由な結婚生活を送っている兄に合わせて「兄が帰ってくるので、実家に今日戻ってこれないか」と言われたのが、昨日までのなんとかメンタルを安定させつつあった私に直撃してきた。これまでも何度かそういうことはあったが、比較的自由に動ける人に合わせてなぜ子連れで妊婦で自由に動けない私が合わせるのか、そしてなぜ「あいつは全く合わせようとしない」と言われなくてはいけないのか、子連れで外に出たことがないくせに「子どもなんて連れてくればいいだけなのになぜ」と言われなくてはいけないのか、産んでないのに「妊婦2回目だし大丈夫」と言われなくてはいけないのか、もう全く理解できなかった。相手が私を理解できないのと同じように。妹から私をフォローするつもりで「無理解だよね」といわれたその言葉に「あぁそうだ、これが無理解だ」と痛感して、刺さった刃物を抜く痛みを得た。

子にご飯を食べさせ、寝かせ、片付けて、座ってやっと自分の昼食を食べ始め、気付いたら泣いていた。そういう泣き方がこの妊娠中には増えた。前回の妊娠ではメンタル的に落ち込むことが全くなかったので戸惑っている。マタニティブルーというのは理由のない落ち込みから突然泣く感じ?と理解しているのだが、そもそもホルモンバランスが普段と異なっていれば理由があってもなくても感情のコントロールや認知の歪みなんかが現れるのは普通だなと思った。
なんとか元気にやっていきたかった。
元気で過ごす方が自分も心身共に動きやすいし、子にも余裕をもって接することができるし、胎児にもいいだろうと。「なんとか元気になりたい」と元気になることを目的にして、闇雲に自分を奮起させていた。そうじゃないと何もできないから。何もしなくていい立場ではないから。一日を成し遂げるために私は元気でなくてはいけない。今の第一子のように健康な子にするために私は元気でなくてはならない。
休んだら元気になるはず。眠れば回復するはず。なのにどうしても完全には浮上することはできずにいる。常に鉛がついている。常に視界が悪い。

子ども産めるなら、妊娠するくらいなら元気と嫌味を言われることもあった。そう、元気なはずなのだけれど。私だって元気な自分でいたいのだけれど。そのほうが楽だから。

でもどうやら体感ではそうじゃない。そうじゃないことを誰にも知られないまま、私もどこかの誰かと同じように暑さだけではない何かから身を隠している。それは子連れにも妊婦にも無理解な人と同じように。子連れで妊婦で孤独な誰かと同じように。

あなたを好きでいられるように、育てるのに自分と相性がいい子が生まれてくれるようにと願ってしまう自分が憎い。胎児に申し訳ない。そんな自分の都合ばかり考えてしまって情けなくて、申し訳ない。
私はいつかちゃんと元気になれるだろうか。



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