ガラスの拳
0歳児に腹を立てている自分が情けなかった。
振り上げた哺乳瓶を床に突き刺した。子は驚くようでもなく、泣くことも笑うこともなく、いつもの感情のあるのかないのかわからない瞳でこっちを見ている。どちらかというと静寂に響いた銃声のようなその音に同居人のほうが一瞬だけ驚いたのを肌で感じた。私はガラスの重くよく通ったその音に心地よさを感じた。
ほんの少し寝不足が続いた。
思えば、前回の健診でのダメージもそのままに、社員全員必須の研修に仕事終わりに参加するかのごとく赴いたなんの意味もない赤ちゃん広場的なところでの心労も引きずっていたかもしれない。子を床において20分眺めて帰ってきた。ただただ往復の道のりが暑かった。別に排他的ではなく快く挨拶してくれる方もいたし嫌ではなかった。監視している人も初回の私が来たことに気に掛ける様子もなかったし、忙しい場所なのだと感じた。別に行かなきゃいけない場所でもないと思えたのでそれはそれでよかった。
家事をこなすこともいつもと変わらない日常だった。
同居人が帰ってきても果たしてどれくらい家事をしてもらうべきかわからなかった。けれど自分でできるから、やってくれないと不満がたまることもなかったし、やってほしいことはやってもらうよう伝えていた。だけど、「今日やれた家事」をひたすら箇条書きにしてみたり「一個ずつやれば終わる」と言い聞かせながらひとつずつ潰していく日々は、思えば健康ではなかった。
一人でよく寝ることがいいところの我が子が寝なくなって10日ほどたっていた。
離乳食も母乳もミルクも、大してこだわりなく口に入れるのもいいところだが、とにかく拒まれた。
当初は、あまりにも飲むのを拒むため日中の体内に入った水分や栄養が足りなくて夜に起きてしまうように見えた。そして日中も細切れに眠り、泣きながら起きるようになった。
だから単純に、日中になんとか飲み食いさせて夜寝かせようと思った。
お腹がすいてないわけではないらしいので最初の食いつきはいい。離乳食はしっかり食べる。けれど授乳はミルクでもそうでなくても3口くらいでやめる。そして寝る前にこの世の終わりのように泣く。だから飲めって言っただろうが(言ってない)と思いながら夜、夜中、明け方、久しぶりにいろんな時間に授乳した。同居人の協力を得たいところだが、そして本人もそのつもりではあるのだが、飲まされる側の子が私以外から授乳されることを拒むので私が対応するしかない。
羽交い絞めにして口に哺乳瓶をつっこみ嫌がられ、毎回1時間半くらいかかった。休憩を挟んだりして飲ませるので時間がかかった。同居人はそういう時そうそうに諦めてゲーム休憩をし(お前の休憩じゃない)思い出したかのように飲ませることを試みる。そんなんだから授乳を拒まれるのではないかと思うが、もう他で頑張ってもらえたらそれでいいやと思っている。けれど同居人の最近の様子を見ていると、「自分一人でやりすぎたな」とも思う。同居人はよく私のことをキャパが少ないといったニュアンスのからかい方をする。頑張ってるねと言いながらそういうことを言う。
いつもいつも羽交い絞めにして包丁を脅し向けるように哺乳瓶を振りかざしていた。
そんな自分が鬼のようで、けれど鬼はこの場において誰なのかとも思えて、これが終わったらもうお風呂に入れなくてはと、脳に文字が浮きあがる前に、そのインクを指を立てて振り払った。授乳とトイレと食事以外で座っている時間はなかったから、貴重な座っていられる時間だった。やっと体を休めて考えることが美しいことのはずがなく、体が動いている間には動かない頭や感情が、今の私の体を動かすならばこういう動きになるのだろう。
無垢な鬼を突き刺すこともできず冒頭に至る。
同居人のほうを見る余裕はなかったけれど何も言わず、通常運転に戻ったようだった。別にそのことになんとも思わなかった。けれど、そのあとの同居人はいつもより子に声をかけて接していたし、家事を細かいところまでよくこなしてくれていた。私は小出しで助けを求めて溜めないようにしていたつもりなのだが、そうではなかったのか、それともいつもより溜まるスピードが速かったのか。けれど同居人に当たり散らすつもりもなかったし、優しくしてもらうつもりでそうしたわけじゃない。大人なのだから自分で発散したら自分で終息させるようになるべきと思う。
いつもは私がある程度手伝うお風呂も自分一人で完結させてくれた。私はいつも平日そうしているのに申し訳ないと思っていた。私は私でお風呂に入り、ちょっとだけ泣けた。やっぱり羽交い絞めにして哺乳瓶を突き立てる自分の姿を考えるとそれが一番つらかった。私が一人で立ち直ろうとしているからか、それとも何を言ったらいいかわからないのか、同居人はいつもどおりだった。(けれどこれを書いている今、それはこの先も定着すると絶対に
よくないと思ったのでお前の言う通り私はキャパがないからなと言い切ってもっとこき使おうと思っている。)
今週は忙しくなる。
そういう経緯も含めて保健師さんとやらが相談に乗ってくれるそうなのであまり期待はせずともそこへ赴いたり、子の病院に行ったりと珍しくよく出かける。
その分月曜日はお互いに体力を温存した。あの突き立てた日あたりからまた眠ってくれる日も戻ってきていた。離乳食の量や活動量の変化もあって色々バランスが崩れたのかもしれないが、また適応しつつあるのかもしれない。定期的にそういうバランスの崩れはあるが、それがまた成長していくんだろう。私もその崩れに、崩されるだけではなく、失ったり得たりしていこう。どんどん欲しがらなくなる母乳にさみしくなったりもしながら、いつか子には私自体が不要になった時、不要にならざるを得なくなった時、子が幸せでいられるように。
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