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斜線堂有紀『恋に至る病』寄河景についての考察

斜線堂先生の新刊を読んだ。

読み終わって、寄河景という人物について、「正しく化け物だった」という感想を抱き、私はゾッとした。これはもちろん物語に対する賛辞としてである。完成度めちゃ高かったな。

読み終わって、人の感想について検索をかけてみた。私の感じたことと類似の感想を述べている人を見かけなかった。なので備忘録の意味でも、私があの物語から感じた、あるいは推測した寄河景という少女について、考察してみようと思う。(この内容は頭の整理のためにツイッターに垂れ流したつぶやきのまとめでもあります。)

もちろん、以下の内容は、私個人の意見であって、彼女の人物像や物語の真相については色んな意見があると思う。
これは「人の性質や言動をシミュレートして自分に都合のいいように操りたがる性質を持っている」人間である私の穿った読み取り方かもしれない。私はその性質で親からよく詰られてきたから、自分のその性質を不快にも思ってるし、どこか誇らしげにも思っている。私には景のような恵まれた容姿もカリスマ性も運もなく、景よりもずっと詰めが甘い人間だったから、景のようにはならなかった。でも私は、自分に景と似た性質があると感じている。もし景のようにある意味で恵まれていたなら、そしてたまたま宮嶺のような存在に出会ってしまってたなら、私も景になっていたかもしれない。

というわけで以下はツイート原文まま。ご了承ください。



恋に至る病の寄河景、正直最初からこの子は頭が良くて周りを思い通りに動かせるのを楽しんでる子だなとは思ってた。そしてそれが間違いでなかったことを最後の消しゴムで知った。

あくまで景本人ではなく景を愛した宮嶺視点なのがトリックなんだよね。私も景みたいなタイプだったから何となくわかるんよ。小学五年生であそこまで人を操ってるのは明確な意思があって操ることが癖になってる。そういうタイプの子供はいる。

(私には景みたいなカリスマ性も容姿もなかったのでこうはならなかったけど)景の場合は外見とカリスマ性という、周りを操るに関して頭脳と観察力の次に必要なそれが備わってたので無双だったんだな……私が思うのは、景は頭が良すぎて幼い頃から「周りに求められてる自分」と「本当のわたし」の乖離に気づいてた子供だろうということ。

だから彼女は、自分の欲望(他者を傷つける快楽、他者を害したい気持ち)に従った行動をとっても、人前では「優しくて完璧な女の子」を演じることが出来た。またそれをすることに快感を感じてた。多分ね。自分の影響力に幼い頃から酔いしれてるタイプの頭が良くて器用で手の付けようがない子。

だからね、景は自分の手で女の子の凧をわざと飛ばしたくせに、凧がなくなって泣いてる女の子を励ますことが出来る。その全てが、娯楽だから。それを見ていた宮嶺のところに来て声をかけたのは、凧を自分が飛ばしたところを見られてたかもしれないから。確認のため。

でも宮嶺は見てなかった。

宮嶺が見てたのは、凧をなくして泣いてる女の子を景が励ましている姿だけ。そして宮嶺はよりにもよって凧を見つけた。もし宮嶺が見つけなかったら景はそのまま宮嶺と戻ってただろうね。凧は無視して。
でも宮嶺が見つけてしまった。だから「完璧ないい子」である景は自らそれを取りに行くしかなかった。

その時事故で瞼に怪我をしてしまったのは景にとっても想定外で、衝撃だった。景は自分の容姿が武器であることもちゃんとわかっていた。そして間接的に自分に怪我を負わせた宮嶺のことを恨めしく思う気持ちと、自分の容姿に傷がついた両方のショックを抱えていた。だから学校にすぐには来られなかった。

普通なら、あんなに人気者の景が怪我をしたらみんな心配をするだけだ。少なくとも小学生にそれをいじめる発想はない。でも景は学校に行けなかった。なぜなら、景ならそこをついていじめる発想も思いつくだけの頭脳がある。だからそこまで想像がついて怖くなるし、単純に宮嶺に怒りを持ってるから。
それを学校で出さないでいられる自信がすぐにはなかった。あるいは自分が数日休めばもっと心配してもらえるかもしれないって言う算段もあったかもしれない。小学生にそこまで思いつくか?思いつくとはっきりいえます。私も思いつく人間だったから。

そしてよりによって怪我の原因に(景視点では)なった宮嶺がお見舞いに来た。相手が誰でも部屋に入れたかもしれないけど、宮嶺だったからこそ部屋に入れたと思う。なぜかと言うと、ああいうタイプの子は自分の嫌いなタイプの考えや性質はちゃんと把握しておきたいから。

でもそこで、景はまた衝撃を受けたんだと思う。「もし景のことを悪く言うような奴がいたら、僕が戦うよ」
宮嶺からそれを言われたから、景は落ちたんだよ。宮嶺は私のヒーローになってくれる?うん。
……それ、ほんとかな?

景が宮嶺の消しゴムを盗んだのは、小学生が気になる子にいじわるをしちゃうことの延長だったかもしれない。私のヒーローになる人、自分の所有物だから、その人のものをつい取りたくなったのかもしれない。そういう心理ってある。そして消しゴムを取って、気づかれなくて、宮嶺が一見気にしてないように見えて、そこで景はひとつ思いついた。あのね、宮嶺がいじめられた事件、あれはね、ブルーモルフォの前哨戦でしかない。あれですら布石でしかない。景は宮嶺を好きになった。あるいは恋に似た病を抱えた。だから実験を始めてしまったんだ。それがあのいじめ。根津原あきらをけしかけることは容易かったはずだ。(あるいは、いじめの内容をエスカレートさせたのも景かもしれない。)
だって、根津原あきらは景に気があったんだから。うまく誘導して宮嶺をいじめさせることは景になら簡単だったはずだ。そうして、景は宮嶺をいじめのターゲットにした。その上で周りの子供たちをよく観察した。

もしかしたら、いじめに耐えかねた宮嶺が、景が手塩にかけて特別扱いをしてきた宮嶺が、自分に助けを求めることをシナリオとして想定して、望んでたかもしれない。私はそうじゃないかなと思ってる。そうすれば宮嶺を自分に縛り付けることが出来る。壮絶ないじめから助けてくれた景を宮嶺は多分転校初日のあの出来事より感謝して、景のものになるだろう。でも宮嶺は、「景のヒーローになる」という誓いを愚直に守って、どれだけ景が働きかけても絶対に助けてと言わなかった。逃げるものは追いかけたくなるよね。自分の思い通りに動いてくれない人間はどうしても絡め取りたくなるよね。

多分、景にとって宮嶺は初めての、「一見簡単にコントロールされそうでされてくれない、何故か思い通りにならない、地味なのに想定できない言動をする子」だったんだと思う。その積み重ねが景を宮嶺に執着させたんだ。

宮嶺が景に頼ってくれないから、そうしたら後はどうすればいいかなって、聡い頭で考えた景は、根津原あきらを殺すことを思いついた。そして、自分の取り巻きとも言える親友のポジションを占める二人の女の子を上手く誘導して根津原を殺させた。
そうすることで、宮嶺と自分の繋がりを深く繋いだ。

(そもそも、もし根津原あきらを上手く誘導してたなら、口封じの意味でも殺人のメリットが大きいと考えたかもしれないね。)

この物語の面白いところは、宮嶺と景の関係性も、宮嶺が受けたいじめも、集団自殺の件も、全てが景が作中で言ったように「最初は簡単なことから始めて、徐々に要求を重くして、判断力を麻痺させて行った結果成功してること」、なんだよね。
多分、全てが全て景の思い通りになったわけじゃなかっただろう、偶然の出来事が面白いくらいに上手くハマって、連鎖する出来事が沢山続いたんだろう。少し知恵を絞ればそれは経験を活かしてどんどん応用できる。この快感に一度ハマったら抜け出せるはずないよね。

漫画も小説も絵も、作る人間というのは大概が子供の頃からそれを習慣としてやっていて、どんなに辞めたいと思っても結局はまたやってしまうようないわゆるライフワーク、自分の一部になってる人間というのが大部分なんだけど、景にとってはこの人を操るのがそれなんだと思う。自分の一部だから、癖だから、もう辞められないんだ。

あと創作する人間にありがちなんだけど、自分の体験や日常で起こったことの全ての興味を引いたものを「これ創作に取り入れよう」とする性質、それと同じものを景も持ってたと思う。経験をひとつも無駄にしない。それまでの積み重ねでブルーモルフォを作った。人が面白いくらいに誘導された。

ブルーモルフォのこと、宮嶺に最初から言う気があった訳じゃないかもしれない。景は宮嶺を押して、私は宮嶺が好きだと言った。宮嶺も景のことが好きだと言った。なら恋人になれるって景は多分ここでも幸福な達成感を得たと思う。でもここでも宮嶺は想定外のことを(景にとっては)言い出した。
「つきあえない。僕と景とじゃ釣り合わない」
だから景はブルーモルフォのことを、自分の暗い側面の一端を見せた。そうすることがきっと効果的だと思ったから。同時に賭けでもあった。景は何度も宮嶺を試している。そしてその度に、宮嶺は「それでも景から離れていかない」ことを選んでいる。

「私がどれだけ宮嶺を好きか証明してあげる」これとブルーモルフォの活動内容を見せること、実は答えになってない。景は頭が良くてとても用意周到で隙のない快楽殺人者だ。でも、根津原を殺した時、宮嶺と付き合いたくてブルーモルフォの活動を見せた時、その後も宮嶺が自分から離れていきそうな気配を感じる度に、暴力的なイベントを宮嶺に叩きつけて、判断力を奪いながら、がむしゃらに宮嶺をつなぎとめてる。

おそらくは景は確かに宮嶺に病的に恋してた。宮嶺が判断が遅くて流されやすそうで流されにくい、そして意外と意思が強くて、頑固なところを誰より感じ取っていたから、それくらいしないと狂ってる自分では宮嶺をつなぎとめられないとわかっていた。

でもこういうタイプ、恋はできても愛せないんだよね、人のこと。

だから、宮嶺の制御が上手く出来なくなった時の保険もかけ続けるし、宮嶺のことをも自分の壮大な計画の駒に含む。宮嶺との恋と、人間淘汰、大量殺人は繋がってなくて、並行作業。宮嶺のことを純粋な意味で景は恋してただろうか?私は違うと思う。宮嶺が景にとっては意外性の塊で、同時に思い通りになるようでならないもどかしい人間だから、独占欲と執着心が強かったんだと思う。そういう病気。そうして宮嶺をつなぎとめながらやっと恋してた。

宮嶺と自分だったら、自分を取れる。景はそういう人間。最後までブルーモルフォを続けなきゃと言っていたのは、ブルーモルフォの終わりは宮嶺が自分から離れていく時だと巧妙に設定してたからだ。入見が言ったように、宮嶺はスケープゴートだった。ブルーモルフォが万が一終わってしまう時のためのスケープゴートだった。ブルーモルフォが終わる時は、景にとっては宮嶺に景自身を否定され拒絶される時そのものだった。あるいは、もしそれが宮嶺が自分を守るためにする行動だとしても、「そこまでして(ブルーモルフォの罪を被ってまで)私のヒーローであり続けられる?」っていう、景からの最後の試験だったと思う。そうやって残酷に暴力的に試し傷つけることでしか愛を示せない、精神異常者が景。
これは宮嶺の深い愛の物語と見せかけて、その実恋に至る病を抱えた化け物寄河景という人間を巧妙に隠す物語でしかない。語り手としても宮嶺はスケープゴートでしかなく、また、語り手としても、物語としても、宮嶺は景を守る(景のヒーローであり続ける)ことにどうにかこうにか成功してるのだ。ただし入見が景の本性を読者にわかりやすく提示したことで、その成功もとても危ういのだけど。

あと一つ思うのは、景が口にした性善説について。
景はもしかしたら小学生の時に、自分が性悪であることに気づいてたかもしれない。私もそうだった。そういう人間は、周りが無邪気でとても優しくてすごくいい人間にばかり見える。自分だけが異端で悪い人間だというように思う。だからこそいい子の振りをする。完璧なまでに優等生を演じる。

宮嶺が転校生だったからこそ、あるいは転校初日、輪に溶け込めないかもしれないこと、失敗するかもしれないことに怯えていたその新鮮な反応に、景は興味を持ったのかもしれない。だってそれまではきっとつまんない日常だっただろう。小学一年生から積み上げてきた絶対的な周りからの信頼と賛辞をうけ、たまに影でいじわるをし(凧を隠すような)それをフォローして見せて人の反応を楽しんだり、クラスを滞りなくうまく操って問題ひとつない楽しいクラスにすることに達成感を抱きつつも、それはもはやルーティンで退屈だったんじゃなかろうか。ここで宮嶺が転校生だったことが効いてるのだ。新しい子、まだどういう子か把握していない子。聡いから、彼が何に怯えて萎縮してるのかも何となく察してしまう。だから咄嗟にフォローもできてしまう。

その機転の早さと人を操る快感は、宮嶺に出会うまでは概ね「サービス精神」として発揮されてたんだろう。

これは想像でしかないけれど、もしかしたら宮嶺のような繊細で愚直で優しい人は、自分の意思を持ってそうな人は、景の周りにはそれまでいなかったかもしれない。

景にとって、宮嶺は最初から「等しく優しくしてあげる対象」でしかなかったのが凧事件で印象が変容したのか、最初から気になってた人物で凧事件によってより強く執着心を抱かせたものやら、真実は景しか知らない。

いじめが始まってから、景はきっと周りの子供たちに失望しただろう。それは本当だと思う。景の言葉の全てがそれっぽいのは、景の言葉に真実と嘘が巧妙に織り交ぜられているからだ。性善説を信じていたという景の言葉を、私は本当だと解釈している。
いじめにみんなが加担、あるいは傍観するのを見ていて、きっと景は「なんだ、こんなものか」と思っただろう。自分が「みんないい子」と信じてた子も凡庸な悪い子たちだった。
でもその中で、あれだけ酷いことをされながら苦しんでいながら、宮嶺だけは、もしかしたら眩しく写ったのかもしれない。宮嶺は一度も誰かを貶さなかった。物語を通してずっとだ。

宮嶺は気づいていないと思うが、宮嶺には宮嶺にしかない、凡庸でない人間としての魅力があった。それは景にはないもので、景は宮嶺がそういう人間だと知った上で、狂おしく好きだったのだと思う。

いじめがエスカレートし、「救いの手を差し伸べるなら今がいちばん効果的」と思えるタイミングでやっと宮嶺に声をかけるような景。そんな景には無いものをもつ宮嶺を恋人としてつなぎとめることができる。自分のほとんどをさらけ出すことが出来る。(それでもさらけ出すことができない秘密もたくさんあった。それは計算高い人間の悲しい性なのだ。)ずっとヒーローでいる約束を守ってくれる宮嶺が景は本当に好きだった。

結婚みたいだと宮嶺が言った景からの指切りげんまんは、ただしく結婚と同じ繋がりの呪いだった。あの頃から景は宮嶺だけをこの人と決めていたのだ。

入見さんが宮嶺を救ってくれるといいんだけど。入見さんの言葉だけが、私を救った。宮嶺にはまだ未来がある。彼女だけでも本質を見破ってくれている、その事だけがせめてもの救いだ。

この物語は、狂った少女に献身させられた少年の転落記のようなものなのだから。


P.S. いじめの時宮嶺の思考力を奪っていたのは慢性的な睡眠不足だった。景のことで宮嶺が決定的なことから目を背けてしまうのは、思考力が揺らいでいるのは、景への恋のせいだったね。



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