赤ちゃんを産むことに対して思うこと。

子供を持つか持たないかは人生で大きな選択である。ここでは、特に赤ちゃんを産むかどうかにフォーカスしていまの気持ちを記録しておこうと思う。

高校生の頃はお腹の中で別のいのちが宿るなんてとかなり妊娠を怖がっていた記憶がある。自分の中で関与できない生命体が成長していくということに対して、言葉は悪いがエイリアンのように思っていたのかもしれない。

大学生になって、周りの人たちがいろんな人生を歩んでいる様を目にして、赤ちゃんを産むことにチャレンジすることなしに子供を持たない選択を選ぶことはできないと考えるようになった。

妊娠できるかどうか産めるかどうかは取り組んでみないと分からないことではあるが、取り組んでみないうちから諦めるには人生長すぎると思った。今じゃないと産めないのに、その時に産む努力を全くしなかったら後悔するだろうと考えた。

社会人になって、心身の調子を崩して、催奇形性のある薬を飲むことになってから、赤ちゃんを産むことの大変さがやっと少し分かってきた。妊娠できても、双子かもしれないし先天的に障害を持っているかもしれない。どんな子供が生まれても人生をかけて大事にする覚悟が私にできるのだろうか。

実際私も障害を持っているが進行性で幼少期はそれほど困らなかった。両親も好きなだけ好きなことをさせてくれたし、弟と変わらぬ愛情を注いで育ててくれた。それでも逃してきた瞬間や掴めなかった思いがあることが、障害を持つ子供本人の大変さを感じさせる。

介助はもちろんだが、それだけではなく、本人の辛さを思うとなかなか踏み切れない。でもそれが一人の人生の重さなのかもしれない。健常では普通すぎて認識されない人生の重さなのかもしれない。

それを預かる覚悟をするということが、きっと親になるということの一歩なのだ。赤ちゃんを産むことは大きな覚悟を必要とする。思いつきでしていいものではないのだ。

以上、親になる覚悟は想像以上に重い覚悟だったことにようやく気がついた話でした。


文責  綿来すずめ

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