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ウェディングプランナーへの道

やっと雨が降り、すこし気温も下がったかな?とおもったら、また台風がやってくるようです。気をつけねば。

アパレルからウェディングプランナーへ。の自己紹介の続きです。

サラリーマンと専門学校生の二足の草鞋生活、初めは教室いっぱいだったクラスメートも日に日に減り、学校のチューターさんに「なんでみんな来ないのかなぁ・・・」などと呼び出され、相談される展開に。

そりゃ、勉強しても就職できるの??って思ってるからだよ・・・と心の中で。時は就職氷河期、大学と専門学校のダブルスクールで就活に励んでいる子も沢山いましたが、ただ学校行ってもプランナーにすぐなれるわけじゃない、仕事ってそんなもの。

私は仕事したお金でローンを組んで通っていたので、授業を受ける度に、お金がチャリンチャリン落ちていく気がしてて、ここで何かつかまなきゃ損だと思っていたけど、「受ける」だけじゃ役に立たないんだよね。

年齢的にだと思うけど、なぜだかフリーのプランナーになれる気がしていた、今なら絶対止めるけど(笑)
だいたいのフリーのウェディングプランナーさんたちは、どこかしらの会場やホテルでプランナーを経験した後に、それを生かして独立や起業をしている方がほとんどなのに、ウェディング業界未経験の私がフリーのウェディングプランナーでやれると思ってたんだから怖い。

その根拠のない自信は、ウェディングプランナーになる目的が
「喜んでもらいたい」
だったからだと思う。

今みたいに、ググれば世界各国のウェディングの様子が写真や動画でみれたり、お洒落なウェディングアイテムや素敵なドレスを見つけたりできなかった時代。わからないプランや「お祝い事」という大義名分に隠されて、何もかも形がきまってそんなものだと思うことが良しとされていたから、

自分ならこうしたい、自分ならこんな提案ができるのに

ありきたりで窮屈な結婚式じゃなくて、もっとふたりらしく、もっと自由に二人の個性さながらの、人生一度のセレモニーを作ってあげたい。

私が学生の時に見た、教会の庭に運動会テントを張って、ウェディングドレスとタキシードのまま、ケータリングでワイワイ楽しんでいた新郎新婦のシーンを思い出して、決まりなんてないよね?もっと楽しい時間を私なら提案できると思っていた。なんとなく、私なら一人でもできるよね!と思っていた。
この、怖いくらいの勢いが私の背中を押してくれたんだと思う。

洋書をネットで取り寄せたり、会場見学やドレスショップ回りなど、とにかく知識を得たくてがむしゃらだった。

そして、サラリーマンを退職して、まわりに「フリーでウェディングプランナーをやるのでよろしく!」と宣伝していたおかげで、第一号のお客様をプロデュースさせてもらい、今に至ります。

アパレル時代、数字がすべての世界にいて、経営のイロハを学べてたことも大きいけれど、私には「ウェディング業界の常識」がなかったことが、その時代の新郎新婦にフィットする部分が大きくて、いままだこのお仕事をさせていただけてるんだと思います。
アパレルで時代の流行を追いかけてきたことも、ずいぶん役に立ちました。

最初は何も知識がなく、何もかもを自分で生み出すしかなくて、何度自分の頬っぺたを叩きながら、泣きながらやってきたか知れません。
でもずっと、ご縁があって私が出会うことのできたカップルに、私の力のすべてを使って
「喜んでほしい」
「楽しい一日だった」
そういってほしいと今も思いながら、ウェディングプランナーを続けています。

ウェディングプランナーになってからの波乱万丈は、またの機会に。
次は、どうやったら楽しいウェディングが実現できるのか?
ご紹介できればと思います。

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