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で、なんで待ってるのかわかりまてん!『ゴドーを待ちながら』(サミュエル・ベケット)

TBSラジオ、ライムスター宇多丸さんのムービーウォッチメン「桐島、部会やめるってよ」の映画評。

たしか「シンボルとなる人物が劇中の最後まで登場しない」という共通点で本作がかるく紹介されていて、ずっと気になっていました。

不条理演劇の代名詞にして最高傑作。デュシャンの泉のようなメインに対するカウンター的存在が、いつの間にか演劇史のなかでどっしりと鎮座している、そんな印象。

本書の解説にある通り、どんな解釈も感想もこの作品の前ではブラックホールのように飲み込まれそうなので、ざっくりとした雑感を。

ない物語から、抜けられない

登場人物ふたりがひたすらゴドーを待つ話。途中、何度かブリッジ的に「解放」が試されるも、ひとりがそれを制し、揺り戻されます。

もう行こう
だめだよ
なぜさ?
ゴドーを待つんだ
ああ、そうか

そもそも今日がいつで、なぜ待っているのか、というかゴドーがどんな人物であるかさえもあいまい。『忘れられた巨人』の老夫婦のように記憶もおぼろげっぽい。

もっというと、このふたりの人物は自らが物語のない物語の中に閉じ込められ、一定の時間を舞台上でやり過ごさないといけないことにどこか自覚的であるかさえ思えてきます。

支離滅裂だけどギリわかる会話

ゴドーをただ待っている話にとどまらずな本作を「不条理」たらしめているのが、会話の脈絡・論理・因果の脱構築です。文学なのか哲学なのか?いくらでも解釈できそう。

ところで、エスノメソドロジーという日常会話を研究する学問があります。会話ってじつは文字に書き起こすと辻褄は合っていない。でも背後にある暗黙な了解や表情や身振り手振りで「通じ合ってる」ことになっている。

そもそも不完全であるコミュニケーションを意図的に脱構築し、支離滅裂だけどハチャメチャなほどにはなっていない。按配・加減をベケットは計算したのだろうなあ。

立川談志が晩年にこだわったイリュージョンをふと思い出しました。ラーメンズには「後藤を待ちながら」という作品ネタがあるけれど、まだ観れていません。

まずは日本で本作の舞台を観てみたいなあ。ゲスト的に登場するラッキーのあの長台詞はどのように演出するんだろう。

というわけで以上です!


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