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学校では教わらない「本の読み方」を知る!『乱読のセレンディピティ』(外山滋比古)

この頃は平行して2〜4冊くらい本を読んでいます。『戦略読書』的にポートフォリオを組もうとしても、試験勉強の合間にふと読んだ本に急にハマるような、突発的な「読み」もあります。

小説なら時間をかけたいですし、基本として「速読」的なスキルは持ち合わせていません。ただ、一冊を何度も繰り返すような「再読」はほぼ無く、精読のような「じっくり」読みもしていません。

よしあしはなくて好みと割り切っているけれど、読み方って学校で教わるものでもないし、関心を持っていました。noteで本関連の記事はちょくちょくチェックしています。

そんな矢先、見つけたのが本書。『思考の整理学』でおなじみ外山滋比古さんが「乱読」についてしたためた一冊。「乱読推し」とみて、背中を押してもらうくらいの気持ちで手にとってみました。

本書でいうセレンディピティとは、思いがけないことを発見する能力。いろんなジャンルの本を読んでみると領域によっては当然わからないし、まったく無関係の本にハマることだってある。そういった化学反応に耳を傾ける。

さて、乱読はよいとして、繰り返しの読書と精読への考え方がとくに新鮮に感じたので備忘録としてクリップします。

反復読書の効能

読み返すたびに、読者のもち込む意味が増える。そうして、ついには、自分のもち込んだ意味ばかりのようになる。それをおのずからわかったと思い込む。対象の本を自己化しているのである。

単なる再読批判ではなくて本質を見抜いているなと思いました。たとえば星野リゾートの星野佳路さんは、古典的なビジネス書を何度も読み込んで、100%教科書通りに実行するスタンスが有名です。

おそらく繰り返すことで自身の血肉となり、まさに自己化している。そこには自らが持ち込んだコンテキストや意味があるはず。

自己投影が混じる分、わかった気になる感覚と、書いてあることの理解は完全に一致するわけではない。ここは注意ポイント。

ことばって、映画のフィルムのよう

ことばの流れは、映画のフィルムのようなものであると考えることができる。(中略)むやみに時間をかけると、言葉をつないで意味をつないでいる残曳(ざんえい)が消えてわかるものがわからなくなってしまうのである。

外山滋比古さんといえばアナロジー。ここでは、じっくり時間をかけて読みすぎると、かえって意味を拾いにくくなる要因を「映画のフィルム」になぞらえて説明しています。

たとえば英語の長文読解はさらっと読んだ方が文章の意味が頭に入ってきたかもしれない。文章は、単語がフィルムのように連なって成立している!

しゃべりはリズム、文章はフィルム。さらっと流してしまった方がいい場合もあるのだなあ。それでは、最後に「忘れてナンボ」の一言をクリップ。

本に執着するのは知的ではない、ノートをとるのも、一般的な価値はない。本を読んだら、忘れるにまかせる。

というわけで以上です!


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