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同性婚訴訟、札幌地裁の判断に裁判官の良心を見た。

2021年3月17日、札幌地裁などへの同性カップルによる「同性婚が認められない」ことに対する、国への賠償と現行法が違憲であるか判断を仰いだ訴訟について、札幌地裁での判断が下された。

賠償請求は棄却、しかしながら同性婚が認められないことは違憲であると。

本当に素晴らしい判断であると思う。

LGBTという言葉が世間的に広まるようになってもう数年は経っていると思う。

しかしながら、その運動の中で当事者の多様性を無視した活動が沢山行われてきて、更にはそのような運動によって、当事者に対して大きく反感を持ってしまう人まで生まれてしまったことも事実だ。

けれども、その運動によって、緩やかに柔らかく理解してみようってことを覚えた人たちも多くいたことも事実だと思う。

私は、大きく見ればバイセクシュアルであるため、この判決には大いに喜びたいと思う。

同性婚は多くの当事者があれば便利な制度であることは間違いではない。

けれども、請求額の低さから考えて、私は少なくとも原告が損害賠償が棄却されることも望んでいたと願っている。

なぜならば、過剰なLGBT活動によって、LGBTと呼ばれてしまった当事者の中でも、非常に大きな分断が生まれてしまっていることも事実であると思う。

だからこそ、LGBTを自称しようとも、LGBTであることを否定しようとも、同性を好きになる人たちが、婚姻という関係を結べる、それだけで十分であると思うからだ。

だからこそ、そのことに金銭価値を付けない、そう判断してくれたことに、裁判官自身の平等な良心があると信じたい。

そして、私自身は、この原告団が「損害賠償」のための控訴を行わないことを願いたい。

「LGBT」としての損害賠償を求めることは、何よりもより当事者が「LGBT」という活動に対して、反感を持ってしまう要因となってしまうからだ。

だからこそ、裁判所前で司法判断を発表する際に、レインボーフラッグも掲げてほしくなかった。もはやレインボーフラッグすら、当事者の象徴ではないから。

私は、昨年の年明けに行ったミックスバーで、ママさんの愚痴を聞いた。
「この旗、本音を言うと外したいんだよね、なんか派手だし、下品だし、嫌いなの。ただお客さんからもらったものだから、がずすわけにはいけないのよね。」
私自身が思っていることを、当事者も集まるためにお店を開いている人ですら、思っていたりすることに、驚いた私もいた。

もしかしたら、フラッグ掲げて運動している人の中でも、その虹色の旗に対して、嫌悪感を抱いている人はいるのかもしれない。また、呼称や旗によって、そうでない人と明確に区別されてしまうことに対しても、嫌だと思っているかもしれない。

少なくとも私は、「レインボーフラッグ」や「LGBT」という言葉は、当事者を表す役目はもう終わったと思っている。

だからこそ、私は札幌地裁の裁判官の良心を信じたいし、これから判決が出る東京、名古屋、大阪、福岡でも、この札幌の良心が尊重された判決が出ることを願いたい。

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