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スマホを置いて、現場に立とう @yuka_lab12

ラブソルでは、旅に出たり、アートに触れたり、観劇したりする時間をとても大切にしています。

ラブソル共同代表・ゆかみかは、一年中どこかに出かけているような人たちですし、そこから実際に得るものの大きさを感じています。
自分たちより年若いメンバーには、私たちよりももっともっとそういう時間を取って欲しいと願っています。

日頃、スマホとPCばっかり触っている私が言っても…、なところはあるのは自覚しているとして。
やっぱり、経済も、文化も、人の思いも営みも、「現場」で起きていることなんですよね。そこにとことん向き合わないで、生きることも仕事することも思い切り味わうことはできないんじゃないかと思うのです。

私たちからことさらに「これに行け」なんてことは言いませんが、興味のあることがあれば提案してくれたら、コストは会社で負担しますし、一緒に出かけることもしばしば。

そんな風にしてデザイン事業部でらみと盛り上がって行ってきたのが、5月5日まで、銀座松屋にて開催されている「アニメージュとジブリ展」です。

一冊の雑誌からジブリは始まった

鈴木敏夫が編集した1989年11月号までの12年弱にわたる『アニメージュ』をもとに、『機動戦士ガンダム』(1979)を軸とした爆発的なアニメブームから『風の谷のナウシカ』(1984)の成功、そしてスタジオジブリ誕生と『天空の城ラピュタ』(1986)までを振り返ります。そして、本誌を作るうえで確立していった鈴木流のプロデュース術とはどういうものであるか、それが後の作品制作にどのような影響を与えたのか、スタジオジブリのプロデューサーである鈴木敏夫の、“編集者”としての「もう一つの仕事」に着目します。また、鈴木敏夫と『アニメージュ』が日本ばかりか世界のアニメーションの歴史と昨今の日本文化に与えた影響も紹介します。

(公式サイトより)

『アニメージュ』といえば、日本初の商業アニメ専門誌。

専門誌…。さすがにそこまで極めてないよ。
一見すると、目の端に入れながらも流れていってしまいそうな展示会です。

私に「これは行かないと!」と思わせてくれたのは、プロデューサー・鈴木敏夫さんの存在。冒頭に貼ったツイートにあるように、実は以前、鈴木さんにインタビューしたことがあったんです。

なかなか、稀有な経験ですよね。
私、ライターでもなければ編集者でもありませんし。

でも、ここ数年、言葉に真剣に向き合う仕事が多くなって、様々な人の取材現場に立ち合い、原稿に手を入れるということを何十回もやってきたんです。

中でも一生忘れられないレベルの出来事が、鈴木さんへのインタビューでした。上記のツイートに貼った記事に、その時のことが書いてあります。二年前の私の、未熟な文章ですが、よかったら…。

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会場では、私もでらみも食い入るように展示物を眺め、テキストを読み込むことになりました。
『アニメージュ』創刊の頃といえば、私が生まれるあたり。しかし、そこにあったのは40年前の古さなんて一つもない、人の心に沿った「届け方」がつまっていました。

私はそれを、最近よく耳にする「プロセスエコノミー」だと感じました。

隆盛してきた「アニメ」の情報を伝えるために、雑誌が生まれたのではない。
編集者たちが、こんな面白いものを広めたい、文化の一つにしたいと思ったから、雑誌が生まれた。
そして、雑誌の中から作り手というスターや映画を生み出していく。

読者は、まだ完成していないコンテンツの情報をこれでもかと受けて、作りあげられていくそのプロセスを存分に味わっていたんですね。
『風の谷のナウシカ』の誕生に立ちあっていたとしたら、私だったら興奮するに決まっている…!

展示会という一つの「現場」から、私とでらみはそれぞれたくさん得てきた気がしています。
それらをきちんと思考して、言葉にしていくことで、生きることも働くことも、もっともっと楽しくなる予感でいっぱいです!


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柴山 由香▶︎SNS...Twitter / note

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