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民主党政権考

 あるネット上のオルタナ右翼を相手にした活動家は、街宣中に案の定ネットと同じ調子で差別的な主張をしていたところ最近絶滅危惧種になっていた黒塗りの右翼街宣車に目をつけられて完全降伏していました。その手の人達は絶対に言い返せない人達には強気ですが、言い返すどころかその先があるかもしれないという人にはやはり黙ってしまいます。言論の先まで手段がある人は正直言論の自由を奪っているし全く肯定できないのですが、卑劣な差別主義者にとってはそういう経験は多少薬にはなるのかもしれません。と言ってもそうした恐れがないところに移動して、またヘイトスピーチを繰り返すのが彼らの常套句ですが。
 リベラル派その辺は似たような人も多く、自分達が攻撃しやすいところはほとんど意味のない電話攻撃をしかけますが、本気で取り組まないといけない強大な権力には押し黙ってしまうという癖があります。日本共産党はリベラルでもない左翼団体としてもおかしい非民主的な運営も何故か是認してしまう「リベラル派」も日本ぐらいですが、正当的な無産政党だった日本社会党の崩壊以降まともな左翼勢力をなかなか躍進させれなかった日本の政界も、失敗だったと思います。社会党左派の親ソ傾向はおかしなものでしたが、そうした左派との交渉もせずハナから排除を決めたのは、当時の労働組合ナショナルセンター「連合」も判断ミスでした。結果として30年を経て組織率を低下させている上で、非自民政権の樹立は細川政権を含めて2回しか経験していないので、結論は全く成果をあげられていないわけではないが当初の思惑より水準は下回るというのが連合にとっての平成政治史でしょう。
 その中で民主党政権もほとんどまともな総括はありません。私にとって民主党政権は自民党以上の自動車産業重視、贔屓政権だったとしか思えませんが様々な観点から批判論と肯定論が多いです。全く民主党政権については功がなかったという気はないですが、これも当初の思惑より水準は下回る結果でした。鳩山由紀夫が総理になったのは当時の民主党の党内権力主流は小沢一郎や鳩山グループにあったので、人選は間違ったかもしれないが政権交代とは得てしてそういうもので、カリスマ性あるリーダーが抜群の指導力で政権交代に導く例は少ないです。むしろその後。曲がりなりにも一応財政再建派に転向し、それを推し進めた野田佳彦(と言っても評価はしていません。結果として下野しているんですから)はまだしも、民主党の顔と言うべき人の失態はなかった事にされています。菅直人は幸せな政治家生活でした。日本社会党の悪口を言ってのしあがり、総理にもなった人ですから。

オリーブの木は何故日本で枯死したのか?

 前回も言及しましたが、日本でもイタリア「オリーブの木構想」があり、菅直人本人も周辺もその全国組織委員長などを来日させるなど、90年代後半にそうした野党連合政権の構想はありました。その仕掛け人は若尾光俊という現在は名もなき人ですが、海江田万里の同級生で秘書を務めその後はこの「オリーブの木構想」を日本に移植しようと試みた在野の人です。実際菅直人は当時の厚生大臣として、バリバリ名をあげ次期総理の名物大臣となりタイムラグがあってから民主党の代表となった人で風は民主党に吹いていましたが、地力はほとんどなく単独政権は無理だと思われていました。民主党を中心とした連合政権が1番政権奪取の近道と衆目が一致していました。若尾の提案に前向きだったのは菅直人です。鳩山由紀夫だけではなく、旧新進党のグループが大挙して押し寄せた民主党で一応相当遠目で見て、左派に分類されるかもしれない菅直人は民主党の党内基盤はほとんどなく、こうした搦手こそが自身の躍進に必要だとそのときは感じていました。若尾はほとんど党内から支援されず、自腹を切りイタリアの「オリーブの木」関係者を来日させて結果として莫大な借金しか残せない事になりますが、野党第1党を確保すると、そうした事は何故か忘れたように一才口に出さず骨を折った若尾らは切り捨てられる事になります。
 若尾の構想は私と意見は異なりますが、情熱としか思えない行動力は敬意を表します。彼の構想はイギリス・ブレア政権、アメリカ・クリントン政権、ドイツ・シュレーダーやフランス・ショスパンなど各国の改革左派と連携を深め、その中にはブラジルの新進気鋭の左派、労働者党のルーラなど現在も現役の政治家も含まれていました。インターネットの普及率が今より低い時代に、ここまで大それた、しかもほぼ自腹でやり切るのは活動家と運動家の鏡です。事を成すためにこうでありたいものです。実際「第3の道フォーラム」というイタリアのプロディ首相の好意もあり、こうした豪華メンバーの中で菅直人もオブザーバーで読んでもらえるというチャンスを得ました。菅は後年、もっと早く首相になりたかったと漏らしていますが、この国際的な首脳陣や左派である野党第一党の党首が集まる会合に参加するだけでも大きなインパクトになり、衆参逆転していた当時の小渕政権にさらに追撃ができる大きな行動でしたが、途中で菅直人は断りました。菅は後年自分を美化するような事しか言わないので、何を考えて「第3の道フォーラム」を欠席したのか分かりませんが、彼の政局センスはある種良かったのかもしれません。その後不倫スキャンダルを起こし、たとえそのとき総理大臣になったとしても、レームダック化は避けられません。公明党が連立与党に踏み切った以上若尾が夢見たオリーブの木は遅かれ早かれ立ち枯れだったでしょう。

ソフトクリームのような政党

 中曽根康弘は言うことがコロコロと変わる民主党を評して、夏場には溶けてなくなるソフトクリームのような政党と言いました。風見鶏元祖にそう言われるほど軸足は右にあるのか左にあるのか分からない政党だったのも民主党です。菅直人が待望の政権の椅子に座ったとき再び十数年ひとことも言わなかった「第3の道」を主軸にすると言うことを発表しました。すでに第3の道のデメリットが散々各国の左派政党にダメージを与えていたのに、彼の政策は経済成長、財政再建、社会保障充実でした。経済成長をある程度達成させていく事も必要。ですが、リーマンショック以降の経済でその産業育成はかなり制限されたものになります。必然的にすでに利益を出している企業が優遇され、民主党政権は空前絶後の自動車産業のための政権となってしまいました。
 大震災に関して言えば彼らの責任ではないです。あの災害で的確な手を打てるリーダーは民主党どころか日本のどこにもいません。あの情勢で脱原発を唱えるのも分からない話ではありません。ただ一方的に原子力発電を敵視し、それを誘導したかのような菅直人政権は、当然評価は割れるでしょう。菅直人も小沢一郎に負けず劣らぬ「壊し屋」です。小沢の場合は一応創って、自分の思い通りにいかないと壊すという悪癖がありますが、菅直人の場合は自分では作り上げないくせに後から乗っかって重鎮のように振る舞う。民主党でも立憲民主党でもそうでした。彼の本質は、真空で風頼み、選挙で勝てば何をやっても数の力で押しきれる。そうした集大成が希望の党の醜態でしょう。民主党の悪い点が全て出ています。

民主党の美点

 正直私はほとんど民主党を誉めず貶してばかりですが、その民主党も光る部分はあります。民主党だけではないですが、票にも政治資金にも支持基盤にもならない事を真面目に取り組む人材はやはり立憲民主党に1番多いとは思えます。理想論的ですが、本来あるべき姿は支持者でもない人に光を当てる事が政治です。故山本孝史参院議員や山本譲司元代議士、斎藤勁元官房副長官などほとんど名前は残らずとも名誉は消えない事を成し遂げた人は多いです。そうした人を支援するため、党本部はちゃんと財政的にも組織的にも自立すべきですが、政治資金パーティすら尻込みする有様を見れば、やはり立憲民主党も構造改革が必要でしょう。元国労の富塚三夫もはっきり政治にはゼニがかかるから拠点を作って、集金システムを確立すべき。個人献金を拡充する事が必要なのに、旧態依然の団体献金に頼った結果自民党の不祥事に何故か合法の政治資金パーティすら開催ができないのです。そもそも収支を誤魔化していたという方がよほどの大問題ですが。拠点がないから個人献金ができない。焼肉屋のおばちゃんは外国籍だから数万円の献金も違法だが、外資からたっぷり政治献金を受けることはOK。おかしなシステムです。これだけ団体寄りの集金システムなら、自民党は何度も復活するでしょう。変われ!立憲民主党。いい加減軸足ぐらいはちゃんと左に寄せるべき。いつまで経っても明確な未来を示せず「まっとうな社会」というボヤけた事しか言えないから、敗北を繰り返すのです。


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