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新・貧乏物語

 私は子ども食堂のボランティアも行っています。動機は単純に近所の人に誘われて、個人的に興味もあったので、という理由だけです。そうしたものに人を伝える時は簡素な方がいいと思います。学生の就職活動とは違うので。それは置いといて、「貧困」というワードは当然ですが定義をつけにくい言葉です。皆が貧困であると思う人も本人は「裕福じゃないけど中流」といえば、どうなるのか?だからこれができないから貧困であるとモノサシのようなものはなく、その撲滅には様々な観点から目を向けるもので一過性の減税論は、根本的の解決策にならず当然その持続性も一過性のものに終わります。一種のブームは産んでも、その後が問題を長期化させれば永遠に歴史の法廷に立ち続けなければならないです。
 はたらけど はたらけど猶わが生活楽にならざり ぢっと手を見る 昔の人も歌を残しました。この歌を読んだ人も色々な人生があり、一部分を切り取れば、見方が変わるのは当然です。人間は刹那の生き物ではなく、立場や状況によって変わるもので自分自身不変の価値観を持ち続ける事は不可能です。この歌が読まれた頃は「大逆事件」が発生。政府による思想弾圧事件が起き、幸徳秋水ら運動家が多数処刑される影が大きくなってきている時代でした。この歌の作者が遊興に浸っていた時代はあったのも事実ですが、歌集「一握の砂」が出版される当時は、彼にとってもまさに働き盛りのさなかで、実際忙しかったと考えられます。そうした遊興の日々ばかり殊更取り上げられるのはまさに「切り取り」の時代ならではでしょう。全体を見ずに一部分しか見ようとしないから、どんどんズレた方向に進んでしまう。私も自戒をこめて常に他人のご意見を拝聴する立場として意識していきたいです。
 子ども食堂と言う場所も元々は両親共働きで、1人でご飯を食べないといけないと言う子どもたちのために作られた居場所でしたが、現在では家でまともな食事が出ない子どももちらほら増えてきています。地域の社会福祉協議会の支援があるとはいえ、基本的には地域のコミュニティで運営されているので、当然利益を得て運営しているわけではないので日々奮闘される運営者の方には敬意を表します。こうした取り組みがなければ社会の底はもっと簡単に抜け落ちてしまうでしょう。個人の頑張りで、社会問題を解決すると言う取り組みは尊いですが、必ず限界がきます。そのような事になる前に提言と実行が必要なのです。

複雑怪奇の現代の貧困

 愛知県西三河地方は比較的裕福とされる土地ですが、当然皆が皆所得も多いと言うわけではなく、格差も目に見えてあります。子育て世代において、一番生活が厳しいと感じるのは知的障害がある方の子育てです。年老いた祖母と多少の障害者年金、障害者雇用で働く母親、もしくは父親。経験上片親だけと言うものも非常に多く見られます。その子も発達障害を持ち、一つの掛け違えで学校生活もままならない事もあります。精神を患ってしまった方の子育て世代も貧困を生み出します。家庭内が不安定なら、当然子どもも様々な問題を乗り越える事も多く、親は当てになりません。非行に走る子どもというより物事を短絡的に考えてしまうというケースの方が多いと思います。ただその掛け違いがなければ、同じような家族構成でもかなり福祉を有効活用でき、親も十分その恩恵を受けることができるケースもあります。私は所詮傍目からしか分かりませんが、不公平だなと思う事は多々あります。もちろんこれは私の主観なので、十分福祉を受けていて、自立ができやすいように環境を整えてもらっているように見えても実はその裏で重大な家庭内の問題を抱えている事もありうる話です。子どもに罪はない。親にも罪はない。ただ運が良かった親もいる。そう感じるだけです。
 運というものは自分ではどうにもできません。真面目にコツコツと大きく狙わず、小さい事から一歩一歩というものが基本ですが、再現性のない億万長者のハウツー本が売れ出した頃から、そうしたものが軽視されドラスティックどころか、誰も再現できないからやらなかった金策を堂々とやる時代にもなったように思えます。宝くじは買いたくなるのも人間の真理ですが、宝くじをやるぐらい気軽に反社会勢力に騙されてしまう人も多くなりました。騙されているのか、捨て鉢になっているのか分かりません。社会運動にとって正念場です。

旧・貧乏物語

 河上肇の「貧乏物語」は、河上が西欧諸国へ留学中に煌びやかに考えていたヨーロッパの格差の実態を目の当たりにし、彼の終生のライフワークとなった「貧乏退治」の第一歩の著作です。河上肇が「貧乏物語」を著した時代は財閥に富が集中し、庶民の生活は賃金が上がらず、物価上昇に直面するという背景がありました。なんともまた聞いた事がある話です。貧乏の本質は何百年経っても、根っこの部分はほとんど変わらないです。さて河上肇はこうした「貧乏退治」に向けていくつか提言をしています。まず一つ目は「金持ちの贅沢廃止」です。裕福な人がむやみに贅沢品を買い漁るのが、貧乏の根源だと河上は考えました。この第一策はやはり当時の時代を反映して現代では若干ピントハズレになってしまいます。ですが、大企業は消費税によって利益を上げているという散々否定されている言説を未だばら撒く人も多ければ、河上のこの提言は意味が変わってくると思います。彼の提言はやはり現代にも通じるものがあり、その一つ一つが重く伝わります。
 第二策としては「所得の再分配」で第三策として「産業の国有化」です。現代でも通じる現実的な政策は第二策以降でしょう。河上肇は優れた知性の持ち主でありましたが、その解決法まで中々辿り着けず日本共産党員になったり、検挙され転向したりその姿勢は常に変化を続けました。人間だから変化をするのは当たり前です。
 この本の書評に私も思った疑問がありました。題名は「貧乏物語」。これだけ聞けば私は最初プロレタリア小説の一種だと思いましたが内容はデータや先行研究に基づいた学術書でした。それなのになぜ「物語」としたのか?その書評にはこう書かれていました。貧乏というものは個人のお話です。誰もが同じ過程を経て、貧困になるのではなく誰も一つ一つ違った側面がある。データは目安にするが、貧乏を根絶するなら個人の寄り添い続けなければならない。思わず唸ってしまいました。私達は少ない事例を持って全てを断じてしまう事もあります。河上肇がなぜこうしたタイトルをつけたのか、ワーキングプアの問題を一つの統計にしか表現できない現代の有識者とやらに、河上流の喝を入れたとも思えてしまいます。本書は100年以上前の本ですが、現代人でもサクサクと読めるほど平易な文章で書かれてあり、当時の最新の社会保障の比較なども詳しく掲載されており、現在でも語り継がれる名著です。あえて「旧」と小見出しをつけましたが、20世紀最大の大病といわれた貧乏が21世紀では末期症状を起こしかけている。河上肇の提言は現在のグローバル資本主義の強烈なアンチテーゼである、その理論はいささか衰えません。

労働運動その先へ。

 芥川賞受賞作に「コンビニ人間」という本がありました。自分は周囲をいつも驚かせてしまい、唯一「普通」でいられたのは「コンビニのアルバイト」という極めて狭い空間の中で「適応」できるように生活習慣をコンビニという職場に捧げます。アルバイトとはいえ18年勤続。これは立派な職歴ですが、本人の立場も考えも全然変わっていないのに、周りの見る目が変わっていきます。ただ狭いコンビニとは言え、先述したようにこれだけのキャリアを積めば、立派な職歴です。成長なんか一切していなかった主人公も実はすでに一人前の社会人であり、プレイヤーとしてまだまだ成長できる。という〆でしたが、そうしたキャリアもその店舗が無くなれば雇用すら保障されていないのも事実です。コンビニで働く仲間は、理不尽な親会社の経営方針でそのキャリアが全く活かせない。リスキリングという考え方に反対ではありません。正規非正規関係なく自分が適応できる場で能力を発揮できる方が素晴らしいのだから、そういった取り組みは是非今後も行うべきです。ただの政治家の人気取りにしかならないのなら、大変残念です。求められる場所で自分が適応できる職場で働く事が重要です。どれほど、潜在能力があっても自分が望まれていない職場で働くのは悲劇しか生まないです。
 日本という国は閉塞感がある国であり、こうした閉塞感が突飛な主張をする言論人に飛びつく理由になるでしょう。閉塞感を打破するには、大胆な提言策も必要ですが、いざ実行となれば、腰が重くなってしまう。それは仕方のない事ですが、本筋を避け続けてきて100年前の「貧乏退治」ができず、むしろその病魔は広がってしまっている現状を見るともどかしく感じるのだと思います。
 求む!貧乏を退治できる同志を!私達の運動は小さなもので、河上肇のように世紀を跨いで遺るものはできずとも、しっかりと次の世代にその理念は引き継いでいきたいと強く思っています。強く!もっと強く!考えています。所得の再分配を是非やりましょう。その理念は残念ながら100年経ってもできなかったものです。次の100年後も違うアプローチが必要の貧乏が出現するかもしれません。それでも私達は闘うしかない。すでに現在の「貧乏物語」の個人の物語は止まる事なく今この時点でも書き換わるのだから。止まっている時間がもったいない!

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